武甲山

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩)

◆4月6日
八王子(5:50) +++ 東飯能(6:28/6:37) --- 正丸(7:06/7:10) --- 伊豆ヶ岳(8:20/8:35) --- 山伏峠(?)--- 武川岳(10:15/10:40) --- 妻坂峠(?) --- 大持山(12:10/12:30) --- 妻坂峠(?) --- 生川(13:50/14:00) --- 武甲山(15:20/15:40) --- 生川(?) --- 横瀬(17:45/18:05) +++ 東飯能(18:48/18:57) +++ 八王子(19:32)

山日記

僕はローバー・サレックという靴である。主人とコンビを組んで丸二年になる。今日、ソールを張り替えて久々に我が家に戻って来た。昔から「ソールとパソコンは新しい方が良い!」と言われるように新しくなったソールは黒く光ってなんとも気持ちが良い。おまけに靴紐も新しい物に変えてもらってゴッキゲンなのだ。体の傷は残ったままだが傷の一つ一つが僕の勲章でありこの二年の戦果を物語っているのだ。僕にワックスを塗る時の主人はうっとりした顔をして少し気色悪かったなー。
んでぇ!今回の山登りは僕のリハビリを兼ねて秩父の武甲山にお気楽山行としゃれこんだ。

東飯能駅に電車が差し掛かると主人はハッとしてザックから地図を取り出した。コンパスで方位を確認している所を見ると電車の窓から何かしら山が見えたらしい。相変わらず山が見えると山名を確認するのはいつもの習慣である。へっぽこハイカーではあるが彼のこういう姿に「やっぱ!少しは山ヤなんだなー」と感心してしまう。車窓からは4月だというのにまだしつこく雪に覆われた山が見える。正直に言って「復帰第一戦であんなに雪が積もった山を歩かされなくて良かった」とホッとしたのだった。

正丸駅を降り、伊豆ヶ岳に向かう。昨日は一日中冷たい雨が降っていた。天気予報では「今日の気温は20℃まで上がりポカポカ陽気になるでしょう」と言っていたが昨日の寒さがまだ残っているのか地面から寒さがジンジンと伝わってくる。
林道を離れ登山道を30分ほど登っていると残雪がチラホラと目立ち始め、更に登って行くと道を覆う雪の量は段々と多くなった。「いくら秩父が東京の北側にあるとは言ってもここは雪国ではない!秩父の山は4月でもこれほど残雪量が多いのだろうか?」
主人が秩父の山を選んだのは。。。彼が好きなホームページの一つである”奥州相馬の空の下で”の綺麗な花の写真が彼の心の琴線に触れたのだろう。モニターではなく自分の目で花を、自然を見たくなったに違いない。ガラにもなくカタクリの花なんか追いかけて来たのだ。
それが。。。全て雪の下である。


伊豆ヶ岳山頂からの展望 正面が武川山、奥の大持山、武甲山山頂は雪化粧
伊豆ヶ岳の男坂に着いてみると岩に雪が降り積もり、おまけに強風である。主人は男坂の岩場を登ろうと上を見上げていたが直ぐに諦めた様子で女坂へ向かった。彼が岩場が苦手なのは知っているがこの時の決断の早さには僕も驚いてしまった。しかし彼は負けん気だけは人一倍強いので「何で男なのに女坂を登らにゃいかん?」と他人事の様に舌打ちしながら山頂に向っているのだった。
伊豆ヶ岳頂上に登って展望を眺めると驚いた。電車の車窓から見えた雪が積もった山々が目の前にあった。これから登ろうとする武甲山が薄っすらと雪化粧している姿にハイキング気分でやって来た主人も内心焦っているようだ。
山頂は強風でゆっくり出来ないので岩場の陰で風を除けていると男性が一人登って来た。靴を見るとスニーカーとかなりプリティな靴である。そのプリプリちゃんの主人は岩場に身を寄せると寒そうにブルブル震えながらザックからガイドブックを取り出すと熱心にページをめくり始めた。僕には分からないがガイドブックによほど重要な事がかいてあるらしかった。

「まあーこれ位の雪は僕にとってたいしたことは無い!」しかし山伏峠への登山道を見るとトレースが無い。このまま歩くと僕の中に雪が入って来てお互い冷たいよー!こりゃスパッツを付けた方が良いんじゃないのー?」と思ったが彼がそのまま歩き出した所を見るとどうやらスパッツは持って来ていないらしい。「ハイキング気分で来たんだしスパッツなんか持って来ていないのも、まぁーしょうがねぇーか!」。
積雪は5センチ位、深いところで10センチ位だったのでスパッツが無くても雪が僕の中に入って来ることは無かった。張り替えたばかりのソールが雪をしっかりグリップしている感じがするので僕達は雪を蹴飛ばしながら降って行った。

山伏峠から武川山への道は登り始めは雪も薄っすらと積もった程度だったが杉の植林帯を過ぎた辺りからやっぱり雪が多くなった。
主人はザックの中をゴソゴソやりだした。そして「ヤベ、ヤベ−、忘れてるー!」と舌を鳴らした。どうやらレインウェアを忘れたようだ。「スパッツはともかく、レインウェアを持って来るのは基本じゃー、今度から彼をへっぽこぽこぽこクライマーと呼ぶことにしよう!」我が主人ながら余りのドジさに呆れてしまった。
僕達の前を誰か先行して歩いているらしく真新しい足跡が一つポツポツと山頂へ向かっている。

前武川山付近 写真では分からないが木の枝の先に付いた水滴が凍ってキラキラと輝いていた
風は強いがいつも強いわけではなく波みたいに大きい時と小さい時があり、耳を澄ましていると風の塊が遠くから地響きのように「ゴーッ」とやって来ては周りの木々を激しく揺らし、頭上を越えると遠くへ走り去って行く。風の塊が去っていくと急に辺りはシーンと静まり返り主人の呼吸する音だけが聞こえる。
登山道は木々に遮られて風を受けることは無いので主人は暑くなってきたらしくフリースを脱いだ。鼻水が出るらしく彼の得意技である”鼻水空中ジェット噴射散布術”をやりだした。まぁー単純な話、顔を上に向け鼻の穴を片方ずつ交互に押さえて鼻水を空中噴射するというバカな技である。
彼はこの技をティシュを使わない自然に優しいエコ鼻噛み法であると自負しているが僕に言わせると単に彼がせっかちで面倒くさがりなだけであると思う。
それにしても。。。噴射力が弱いのか?角度が悪いのか?鼻水が今にも僕に付きそうである!鼻から飛び出た鼻汁は万有引力の法則に従い放物線を描いて下に落ちて来る。落ちてこなけりゃ木の枝にでも引っ掛かったのだ。だからもっと考えて噴射しろって言うんだ!。こんなことで靴に苦労させるな!。
鼻水噴射を終えたのか彼は雪の固まりを掴むとゴシゴシと鼻の下に擦りつけた。「なんか汚ねぇーなぁ!」と思っていたら今度は「カァー、ペッ!」と痰を吐いた。鼻汁が咽喉の奥に逆流したようだ。「それにしても汚いオッサンだ!」
。。。とその時、主人の動きが止まった。気が付くと目の前に若い女性が立ってこちらを見下ろしていた。どうやらしっかり今の行為をしっかり見られてしまったようだ。気のせいかいつもより挨拶の「こんにちは!」が小さい。僕は「ざまぁ見ろ!」と思った。

武川岳山頂 この辺りはカタクリの花が多いらしいのであるが。。。
先行して歩いていたのはどうやらこの女性のようで山頂から早くも引き返してきたらしい。女性は完全に雪山装備で武装してカッコ良く、ズボンよれよれ状態の主人とはエライ違いだ。それにしても女性一人でトレースの無い道を歩けるな!と感心してしまった。

前武川山辺りから雪の量が多く膝まで雪に埋もれるようになった。お気楽山行がとうとう雪上わっせわっせ山行に変わってしまった。
わっせわっせと女性が付けたただ一つの足跡の上を歩いて行った。それにしてもこの辺りは木々の感じが良い感じだ。天気は良いし主人も僕も気分は最好調!。

武川山山頂は頂上を表す標示板の周りだけに踏み跡があるだけで一面雪に覆われていた。周りでは相変わらず「ゴーッ!」と風が強いが山頂はほとんど風は無かった。主人はベンチの上の雪を手で払い除けると慌てて軍手の雪を払い落とした。さすがに軍手だけでは手が冷たそうである。彼はベンチに座ってオニギリを食べ始めた。さすがに花より団子の主人だ。レインウェアは忘れてもオニギリは忘れていないかった。
なんだか騒がしい声がするな!と思っていたら妻坂峠の方から男女4人のパーティーが登って来た。挨拶をするやいなや四人の中の太っちょオババが「あーた!どうするの?もっと先まで行くの?こんなに雪があるじゃないの!あーた!どうするの!」とご主人らしき人に向かってダミ声を浴びせた。なんだかすごく機嫌が悪い太っちょオババだ。「ここで昼食にしようよ!」とご主人が答えると「もー!なんでこんなに雪があるの!私疲れたわ!」とダミ声オババがカナキリ声をあげた。
しかし人間というのは不思議な生き物だ!そんなに苦労するのが嫌なら山に登らなけりゃ良いと思うんだけどー!
「先週行った浅間隠山は雪なんか無かったじゃない!」とカナキリ声オババが叫ぶともう一人の女性(ロミ山田風)が「あら?浅間隠山も雪、有ったわよ!」と反論した。太っちょ=ダミ声=カナキリ声オババが「いーや!無かったわよー!」とロミ山田を睨みつけた。僕が喋ることが出来たなら「浅間隠山に雪が有ったか無かったか?今そんなに重大な問題なの?」とつっこみを入れただろう。
んでぇ!この討論会も弁当の蓋が開くと自然に収束して和やかな雰囲気になったのだった。この間、我が主人は大好きなオニギリをモクモクと食べる事に没頭していた。日本は平和だ!めでたしめでたし。

武甲山表参道の大杉
武川山山頂から妻坂峠に向かう道、最初はなだらかな道も途中から急になる。しかし雪が適当に有るので僕のカカトをブシュッと蹴り込むように降りて行くとかえって楽に歩けるみたいだ。
主人は気分が良いらしくついつい歌を口ずさんでいる。曲は十八番の”夢見るシャンソン人形”である。「けぇ!またこの曲だ。今時、弘田三枝子や笠置シズ子の歌を歌う奴なんて彼ぐらいだろう!少しは流行の歌を憶えても良いんじゃないかと思う。たまには平井堅なんか歌ってほしいねぇー」他の人に聞かれると恥ずかしい思いをするのはいつも僕なのだ。
強風の妻坂峠から大持山への道は最初は急登であるが尾根に出ると後はなだらかな道が続く。この辺りも樹林が綺麗なのでまた”夢見るシャンソン人形”が出るのではないかとハラハラしたが無事に大持山山頂に到着。雪に覆われた山頂はそれほど展望は良くなく、狭くて主人を入れて7人で満員となった。


武甲山山頂の展望台 風景指示盤に腰掛けるバチ当り者
風景指示盤には雲取山や甲武信ヶ岳の標示もあるが見えるのだろうか?
んでぇ!問題が起こった。山頂の7人は皆、武甲山まで行くつもりでいたらしいが先を見るとトレースが無い。ここまで先行してラッセルしてくれたナイスガイのお兄さんはここから妻坂峠へ引き返してしまった。「こりゃ、最初に行く人、大変だわ!」と女性が言うと皆の視線が僕達に集中した。僕の主人もオジサンなのだが山頂に居る7人の中では一番若そうである。主人を見るとトホホ顔をしている。
「こりゃ、行くしかないぜ!真っ向勝負だ!ゴアテックスブーティを内蔵する僕にとってこれ位の積雪はドンと来い!カムカムちゃんなのだ!」
さすがに2年の付き合いは伊達じゃなかった以心伝心、僕の心意気が通じたのか彼は雪の斜面に突っ込んで行った。
「さすがに男だぜぇ!これ位の雪なんか蹴散らしてバンバン進もうぜ!」。。。ところが十歩も歩かないうちに回れ右して引き返してしまった。僕の靴紐を荒々しく外すと中に入った雪を掻き出した。スパッツを着けていないので雪が入ってしまい冷たさに慌てて引き返してしまったようだ。直ぐそこに武甲山は見えているのに何とも悔しい。周りの冷たい視線に耐え切れなくなった彼はシオシオになって妻坂峠まで降って行った。
主人は山ヤとして実力は無いへっぽこぽこぽこクライマーではあるが負けん気は人一倍強い。生川まで降り「このまま帰るわけ無いな!」と思っていたら案の定、武甲山表参道への道に進んで行った。
登山届のポストがある場所でザックからラジオを取り出した。時間は午後2時、主人のお気に入りFM東京”サンデーソングブック”が始まる時間だ。これは山下達郎がDJをしている良い曲が聞ける番組だ。日帰り登山の場合は大体、下山中にゆるゆる気分でラジオに耳を傾けている主人の姿を目にすることが多い。だが今日は今から武甲山に登るのであまりマッタリも出来ないぜ!。
ラジオからは達郎の早口なお喋りが聞こえる。なんでも明日は鉄腕アトムの誕生日だと言うので”アトムの子”という曲がスピーカーから流れ出した。跳ねた感じのアフリカンビートで中々イカす曲だ!でもラジオに耳を傾ける主人はかなり疲れた様子できっと100万馬力アトムの数ppmのパワーしか無い様子だ。
武甲山への登山道は杉林の中の道で僕はどこまで登っても変わらぬ登山道に飽きてしまった。ジグザグの道をわっせわっせ汗かき隊となってひたすら登る彼の足も段々と重くなる。途中、でっかい杉の木が有り、「ここから50分で山頂」と書かれた標示板も彼には「まだ残り50分」としか映らないようだ。
武甲山山頂からの展望 秩父市街の展望は天下一品。西の方にはギザギザ頭の両神山も見える
降りてきた人に「今から登るんですか?」と聞かれても、もはやうなずく元気しかないようだ。
山頂まで後わずかという地点で降りてきた人に「あれぇー?大持山頂上でお会いした人ですよねぇー?」と声をかけられた。見ると大持山山頂で会った夫婦二人だった。「私達、皆さんが引き返した後、大持山からラッセルしてここまで来たんですよ。なに、たいしたこと事なかったですよ!」と口をゆがめて薄ら笑いを浮かべた。「あなた、下まで降りてまた登ってきたんですか?大変でしたね!」としたり顔で笑うと降りて行った。夫婦の姿が視界から消えると主人は急に元気になって周りの雪を狂ったように蹴飛ばし始めた。よほど悔しかったのであろう。まぁ、これで気が澄むのならそれで良いけど僕にはいい迷惑である。

横瀬から見た武甲山 屏風のようにそりたつ姿は奥武蔵の盟主なのだ。
武甲山山頂には誰も居なかった。雪の中に御岳神社が埋まっている。
展望台には風景指示盤が有り360度の展望図が描かれているがここからは北東方向180度の展望しかない。もしかしたら石灰石が採掘される以前は360度の展望だったのだろうか?だとしたらすごく悲しすぎるラストシーンだ。そう思ってふと主人を見ると美味しそうにオニギリを食べていた。
下山は登ってきた道を引き返し横瀬駅へ向う。
武甲山の山行は頂上がラストシーンでは無かった。駅へ向う道から振り返ると武甲山の姿があった。西日が残る空の下に武甲山の姿はあった。
それは大きくて堂々としていてやっぱ奥武蔵のドデカ大将であった。
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