鳥海山

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩)

◆7月27日
東京(7:20) +++ 新庄(10:27/10:33) +++ 酒田(11:21/11:35) === 鉾立(12:55/13:10) --- 賽の河原(14:10/14:20) --- 扇子森(14:50/15:10) --- 新山(17:20/17:30) --- 分岐点(17:50/18:00) --- 唐獅子避難小屋(18:40)(小屋泊)

◆7月28日
唐獅子避難小屋(4:40) --- 分岐点(5:40/5:45) --- 七高山(5:50/6:10) --- 伏拝岳分岐(6:50/7:00) --- 宿河原(8:10/8:30) --- 千畳ヶ原(9:20/9:40) --- 万助小屋(10:50/11:10) --- 渡戸(12:00/12:10) --- 臂曲(13:10/13:30) --- 遊佐(14:50/15:26) +++ 酒田(15:39/15:41) +++ 余目(15:58/16:01) +++ 新庄(16:46/16:51) +++ 東京(20:16)

山日記

数年前の夏、谷川岳に行った時に暑さで情けないほどバテバテのヘトヘトになってしまった。それからというもの夏に2500m以下の山に行くのは自殺行為だと敬遠していた。だけど山が一番良く見えるのはやっぱり夏なんだ。ギラギラの太陽の下で見る花は鮮やかであり、木々は緑に輝いている。そんな元気な山に合いたくて夏真っ盛りの鳥海山に行くことにした。

山形新幹線に乗る(山とは関係ない話なので別ページにしました)

いつの間にか眠ってしまったらしい。気が付くと顔に風が当たっている。乗客の歓声が聞こえる。車窓から外を眺めると遠くに海が見えた。日本海の白い海原が僕を一気に目覚めさせた。緑の山麗の先には太陽の光に白く輝く海が広がっていて沖にいくほど白さは増し空の青と溶け合っていた。
酒田を出たバスはいつの間にか窓を開けていて夏色の風が吹き込んで来る。緑の樹林の間をどんどん登って行くとやがて道が水平になり先の方に建物が見えてきた。あれが鉾立ビジターセンターだろうか?。バスがセンターに近づくにつれて駐車している車の多さに驚いた。1000台はゆうにあるだろう。なんという人の多さだろう!出羽富士の名前で呼ばれる孤高の山、日本海に裾野を広げた自然の残る山という印象が薄らいでいく。


展望台から見た奈曽渓谷
上にちょこんと見えるのが山頂
バスが鉾立に到着、山荘で水をペットボトルに入れると早速登り始めた。
登り始めてすぐの所に展望台があり奈曽渓谷が一望出来た。登り始めて直ぐにこの景観である。この先にどんなに良い景色が僕を待っているのか想像すると期待に胸が膨らんだ。
写真を撮って歩き出すと降りてきた男性に「今から登るんじゃ暑いよ!地獄だよ!」とコテコテの東北訛りで声をかけられた。そういえば周りを見渡しても確かに登っているのは僕だけだった。見事に一人だけだった。それに確かに暑い。気が付けば背中は汗でびっしょりと濡れ、額からは滝のように汗が滴り落ちてくる。ギラギラに輝く山、元気な山に会いに来たのだからこれくらいなんでもないのだ。頑張るのだ。登山道は良く整備されて歩き易く、傾斜も緩やかなのでかなり楽に登れたのは助かった。
友人の河本がこの道を見たら「こんなに整備されているのは登山道じゃない!」と怒りまくるかもしれない。それにしても何とすがすがしい道だろう!石畳が緑の草原の中を頂上に向けて続いているのだ。
御浜まで登って来ると御浜小屋の扉に「本日満員で泊れません。山頂の御室も満員です」と無表情をした張り紙がしてあった。「僕が泊る予定の唐獅子平避難小屋も満員だったらどうしよう」と心配になる。最初の計画では山頂にテントを張る予定だったが8合目より上は幕営禁止だと聞いて一番山頂に近い唐獅子平まで降りることにしたのだった。
小屋の脇を抜けると目の前に鳥海山の山頂がドーンとでかい。僕みたいなおじさんでも小さくガッツポーズぐらいしても許されるだろう?
脚下に見える鳥ノ海はまん丸で思ったより小さくかわいらしい湖だ。ぐるっと回って湖畔まで降りる道があるのだが時間が無く行くのは断念した。
ここでは大勢の人が休憩をしていたが休憩を終えると皆降って行った。やはり今の時間から登るのは僕一人のようだ。夏祭りで家路に向う人の流れに逆らって境内を進んだ子供の頃の記憶と重なってどこか寂しいような気分だ。

御浜小屋から見た真ん丸な鳥ノ海
道は相変わらず整備されていて歩きやすい。扇子森は花が多く、目指す山頂はやっぱり青空の真下にある。気分は最高。
次から次へと目の前に展開される風景に見とれている僕の横を多くの小学生が降っていった。集団から遅れて一人の肥った子供が先生から励まされて歩いて来た。炎天下で登っている僕も地獄だがこの肥った子供にとって登山は本当に地獄だろう。学校登山は子供の育成に役に立っているのだろうか?今では山登りが好きな僕も思い返せば子供の時の学校登山は良いと思ったことは無かった。それに登山のマナーや自然に対する畏敬の気持ちなんか教えてもらった記憶も無い。。。なんか理屈っぽくなってきたので話を先に進めよう。
七五三掛分岐点に来ると山の表情は一変して険しくなってきた。新山の右には屏風のように岩山がそそり立っている。左の道に進むと登山道は雪渓の上を歩くことになる。吹き降ろして来る風が頬にヒンヤリしていて快い。しばらく歩くと登山道は雪渓を離れ今日一番の急斜面を登る。がそれもすぐ終わり御室の前に飛び出した。ここから新山までは巨岩が累積した上を登る。

扇子森付近はお花畑が広がっていた
でかいザックを背負って岩の上を歩くのはバランスが取りづらかった。特に胎内巡りでは岩の間を抜ける時にザックがズリズリと擦れて通りにくかった。
新山山頂は岩だらけで広さは4畳半位しかなく、あまり多くの人が一度に立てる場所では無かった。朝になって影鳥海を見る人で混雑するに違いないだろうけど数人は山頂から押し出されて楽しい時のまま一生を終えるかもしれない。西の方を見るとすでに傾きかけた太陽に飛島がシルエットとなって浮かんでいた。
日本海にポツリと浮かんだ飛島、鳥海山の山頂で一人それを見ている僕。。。哀愁が漂う横顔を夕日が紅く染めている。。。頬をかすめた風が遥か日本海へと。。。全然、僕に似合わないのでさっさと話を進める。
唐獅子平への分岐点に立つと下方に赤い屋根の避難小屋が見えた。あそこが今日のゴール地点だ。夕闇が迫る道を小屋を目差して降る。登山道は急に細くなるがこれが山らしいと言えば山らしい。今日の歩行時間は短く、まだまだ足は軽やかに小屋に向って歩く余力を残していた。
唐獅子平小屋の扉を開けると中から賑やかな話し声が聞こえてきた。一階は大清水から登ってきたと言う登山者でいっぱいだった。2階に上がってザック降ろす。まずはウイスキーだ。雪渓でくんで来た水は冷たく、ウイスキーの香りと相まって体の隅々まで染み渡るようだ。窓ガラスに小さな虫が這っているのを見て蚊取り線香を持ってくるのを忘れたことに気がついた。

石畳の道が続く御田ヶ原分岐
一階の方では食事を始めたらしく肉を焼いている好い匂いがしてきた。かと思っていたら室温が急に暑くなって来た。それに煙もすごい。あわてて窓を空けた。窓には網戸が着いていたので虫が入ってこないのは幸いだった。
暑さと煙がひどいので食事の準備を中断してTシャツを脱いだ。ズボンも脱いだ。パンツは自信が無いので脱ぐわけにはいかなかった。
サキイカをつまみにウイスキーを飲んでいたら一階の人が「これ、よろしかったらどうぞ!」と言って梯子を上がってきた。ブリーフ一枚の情けない姿なので恥ずかしかったが暗くて助かった。ヘッドライトに照らされたその手にはうまそうな焼き鳥が5本。遠慮なく頂いて一本のくしを掴んでグワッと食ってみると。。。うまかった。やっぱりつまみは乾き物より生に限る。サキイカ君スマン!
翌朝、明るくなるのを待って小屋を出た。昨日降った道を再び登った。
七高山から眺めると東側は朝靄の中に緑の裾野が広がっていて鳥海山の優しさ漂う風景に出会えた気分だ。山頂には5,6人の登山者しか居なかったので落ち着いて風景に挨拶が出来た。七高山から行者岳に向っていると御室から30人位の大パーティーがこちらに向ってゾロゾロと登って来るところだった。「あんなのに巻き込まれたら朝の静寂な雰囲気なんてズカズカと踏み蹴飛ばされてしまうところだった」とおもわず胸を撫で下ろしてしまった。

新山山頂から見た飛島
実際は写真よりももっと綺麗に見えたのに。。。
行者岳から伏拝岳への道は左右が全く異なる景観を見せてくれる。左(山の南側)はなだらかな緑の斜面なのに対して右(新山側)は切れ落ちていて、天に突き上げる荒涼とした新山ドームの姿に圧倒される。伏拝岳から西を眺めると稲倉山、扇子森、笙ヶ岳の緑の稜線が何ともなだらかで良い感じだ。
伏拝岳から河原宿小屋に向って山を降る。少し降ると登山道は雪渓上を歩くことになる。雪渓が途切れて登山道が露出している箇所があっても、皆、遠回りして雪渓の上を歩いていた。雪渓は歩きづらいので僕は土の登山道を歩いた。
それにしてもこの道も登山者が多い。特に学校登山の子供が多い。そして最後尾にはやっぱり肥った子供が先生に励まされて苦しんでいる姿があった。
鉾立からの登山者も合わせるとかなりの数の人になると考えられる。はたしてあの狭い新山の山頂に何人の人が立つことが出きるのだろうか?鳥海山に同情したくなる位の人の群がりようだ。

伏拝岳から昨日歩いた道を見る 後ろは日本海の大海原だ
河原宿小屋から月山森への道に分かれると人は急に少なくなる。昨夜、小屋で一緒だった人の話では鳥海山は祓川や大清水から見た形が良いと言っていたがここ月森山から見ても中々良い形をしていると思う。
緑の草原の中を歩いていると脚下に広大な千畳ヶ原が見えた。しかしそこへ降る幸治郎沢沿いの登山道は岩がゴロゴロの急勾配である。足を滑らさないように注意して降ると再び緑の草原に突進して行った。
千畳ヶ原は景色は良い。人が少ないのも良い。しかしそれにしても暑い。山頂からほんの少し下界に降りただけなのに暑い。「やっぱり元気すぎる夏山は敬遠すべきかもしれない。。。いかん!これ位で負けてたまるか!」とカロリーメイトを口に放り込んだ。
時間があったら御浜小屋まで行ってそこから長坂道を降ろうと考えていたが時間が無いので万助道を降ることにした。千畳ヶ原から仙人平を見ると直ぐそこに見える。沢を突っ切って行けば直ぐに行けそうであるが蛇石流分岐まで回って行かなければいけなかった。

月山森からの鳥海山 この辺りも花が多い
仙人平から登山道は樹林のジメッとした中を歩く。展望は無く、日差しも木々に遮られているがやっぱり暑い。じっとりと全身に汗がにじんでいく。
40分ほど黙々と歩いていたら涼しげに沢を流れる水の音がしてきた。そうしたらいきなり万助小屋の前に飛び出した。小屋は外見はお世辞にも綺麗だと言えないが扉を開けて中に入るとなんと床はフローリングとなっていてびっくりした。おまけにストーブ、流し台まで設置してあり蚊取り線香、ランタン、ロウソクは新品である。いつもだったらここでラーメンとなる訳であるが今回は時間が無い。ビスケットを口に放り込むと再び歩き出した。
渡戸の沢で水を飲もうとして延ばした手が止まった。水の中に数匹のおたまじゃくしがいる。普段だったら気持ち悪くてそんな水なんて飲めないのだけれど今は自然と親しい気分になっていたので気にならずにたっぷりと飲むことが出来た。
結局、他人平から林道に出る一ノ坂までずっと展望の無い樹林の中の道を降ってきた。登山者と一人も会わない寂しい道だった。万助小屋があれだけ整備されているのにもったいない事である。

千畳ヶ原から見た扇子森付近 ここから見る笙ヶ岳も良い
臂曲という所で遊佐駅までの道が分からなくなってしまい周りに人影が見えなかったので近くの家で道を尋ねた。「遊佐駅まで歩いて行く」と言うとお爺さんが親切に地図まで書いてくれた。でも言葉は訛りで半分くらいしか意味が分からなかった。書いてもらった地図を握りしめて田んぼの中の舗装道路を歩いた。少し風があって予想していたよりも暑くは無かった。時間と体力があれば、日本海まで歩きたかったのだが両方とも今の僕には残っていなかった。

参考

水場:賽の河原は残雪からの水量は多い。地図では8月に入ると枯れるとなっている。山頂の御室付近の残雪にパイプが刺してあり小指ほどの太さで水が出ていた。唐獅子平小屋の50m上付近で登山道は雪渓を横断する。雪渓の末端まで歩いていって水を汲んだ。河原宿小屋付近は雪渓からの流水が豊富。
テント場:山頂の御室小屋の前は広く、5,6個はテント設営可。しかし国定公園であるため幕営禁止。唐獅子平小屋の前は3点くらい設営可。万助小屋、渡戸は地図にはテントマークがあるがそれらしき場所見当たらない。

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