富士山

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩)

◆8月31日
立川(5:55) +++ 高尾(6:13/6:15) +++ 大月(6:52/6:54) +++ 富士吉田(7:38/7:45) --- (朝食)--- 浅間神社(8:20/8:30) --- 中の茶屋(9:20/9:30) --- 馬返し(10:15/10:25) --- 佐藤小屋(12:30/12:40) --- 七合目避難小屋(?) --- 六合目(13:50/14:00) --- 東洋館(15:30)(小屋泊)

◆9月1日
東洋館(3:30) --- 山頂(6:10/7:40) --- 宝永山(8:55/9:00) --- 御殿場新五合目(10:10/10:40) --- 馬返(11:35/11:40) --- 青年の家(12:35/12:40) --- 御殿場駅(13:45)

山日記

「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」「登るより見る山」など山ヤにとってはあまり評判の良くない山であるが僕は好きな山である。なんてったって樹林が無いので登山道からいつも展望が良い。登り疲れた時、いつでも下界が見下ろせるのは気持ちが良い。

今回、登るのは2度目である。一度目は登山とは全く無縁な友人と登った。そうしたら7合目辺りで奴が「俺ーっ!もう駄目だ!」と音を上げたので仕方なく奴のザックも担いだ。8合目の山小屋に着いた途端に元気になってはしゃいでいる奴の姿に呆れたのだった。その時は河口湖口5合目から往復したのだが、意外と楽な行程に物足りないさを感じて「いつか、一合目から登ってやろう!」という思いだけが残った。
先日、フジテレビの”晴れたらいいね!”で登山家の野口健さんが一合目から富士登山するのを見て「やられた!先を越された!!!」と悔しがった。もっとも僕の知らないところで何人も一合目から登っているのだが。。。
なるべく人が少ない時期に登りたかったので8月最後の日曜日を狙って登ることにした。

富士吉田駅を降りて浅間神社に向かう。「浅間神社を起点に富士登山は始まるのだ!これこそ富士登山の王道。山ヤは決して5合目から登ってはいけないのだ!」と早くも鼻息が荒い僕。8月の終わりなのに日差しが強く、ラジオの天気予報では最高気温34度と予想している。道は少し登りになっているので少し歩いただけでも汗が噴出してきた。情けないことに早くも疲れて休みたくなった。見たことがあるオレンジ色の看板が目に入った。牛丼の吉野家が有ったので吸い込まれるように店に入った。牛丼の上に紅生姜を山盛りにして食べると元気が出てきた。

浅間神社は予想していたよりも大きな神社だ。境内の手水舎は「龍の口」と呼ばれていて富士山麗の湧き水があふれるように流れ出していた。数人が大きなポリタンクに水を汲んでいた。よほど美味しい水に違いないと僕も早速、水を口に含んでみた。冷たくておいしくペットボトルにも入れた。「ここから富士登山が始まるのだ!」登山の無事を祈願して登山道を歩き出した。


山頂お鉢周り
風が強く砂埃が細い目にも入って痛い
道は樹林の中の舗装道路で時々、木々の間から目指す富士山が見え隠れしている。朝は快晴だったが今は五合目あたりに雲が湧き出していた。一見すると平坦な道だが振り返って見ると少し傾斜しているのが分かる。「一歩前に足を出すたびに確実に富士山に近づいているのだ!」という実感に胸が躍った。しかし正直に言えば薄っすらと見える五合目を見て「はたしてあそこまで歩けるのだろうか?」と弱気な僕もいる。
中の茶屋(地図では大石茶屋)から少し道は狭くなり傾斜も少し急になった。たまに登山者を乗せたタクシーが砂埃をあげて追い越していく。砂埃の中を歩いていると”歩くという単純作業”がふと空しくなる。「あと何回足を前に出せば目的地に着くのだろうか?」とまたまた弱気になる。おまけに前傾姿勢を保ったままで歩いているので腰が痛くなってきた。
馬返しにはタクシーで着たらしい数人の登山者が登山の準備をしていた。僕の背中は汗でびっしょりと濡れていて、これから歩き始める人の背中を羨ましがるのだ。
馬返しから登山道らしい道になった。道は広く良く整備されている割には登山者は少ない。僕は浅間神社が一合目だと思っていたので馬返しに一合目という表示を見つけるとなんだか損をした気分になって意気消沈してしまった。「浅間神社から歩いて来るような馬鹿はやっぱり僕ぐらいしかいない!」と一気に疲労感が押し寄せてきた。
一合目、二合目と登って行くと朽ちかけた社か小屋の跡があり信仰登山の歴史を感じさせる。昔はこの道を多くの登山者が富士山を目指して歩いたに違いない。天を仰ぐと木々の間の空は雲に覆われて白く、光は登山道まで届かなかった。朽ちかけた小屋と曇り空のせいで僕はますます元気が出ない。
トボトボ歩いていると道は舗装道路にぶつかった。降りてきた三人の爺さんから「ほーっ!下から登って来たの?エライね。ほーっ!」と声をかけられたのでニヤーッとしてしまった。ニヤーッとしたので少し元気になった。それにしてもこの3人の爺さんは富士山から降りて来たらしいのだがかなりヨレヨレであった。ヨレヨレという言葉は悪いかもしれないが歩く脚は弱々しく頼りなかった。はたして馬返しまで無事に降りられるのだろうか?と心配になった。

八合目から見た宝永山
予想以上の景色に降りる足もついつい速くなる

佐藤小屋で一休み。ザックからおにぎりを取り出す。小屋の周りにはテントが十数点張ってある。どうやら登山者のではなく道路整備の人達のテントのようだ。おにぎりを食べているとふっと雲が切れて5合目から6合目に向かう登山道が見えた。そこにはかなり予想以上の多くの人の姿があったのでがっかりした。
ここから登山道は吉田口と河口湖口が合流して登山者が一番多いメインルートになる。前回来た時にあまりの人の多さにへきへきしていたので今回は登山者が割と少ないと思われる須走口を登ることにしたのだ。地図を見ると須走口にトラバースするには吉田口下山道から分岐してお中道を歩かなければならない。

一人だけ他の人の流れに逆行して下山道を登る。ところがこの下山道というのは砂地なのでとても登りづらい。一歩前に踏み出した足がズルズルと半歩ぐらい下がって中々前に進まない。それでも「お中道になれば道は平坦になり楽になるさ!」と頑張るがいくら登ってもお中道への分岐点が見つからない。七合目の避難小屋を目の前にしてやっと分岐点を見過ごしてしまったことに気がついた。一気に疲労度倍増、完全に意気消沈。汗で濡れた背中が急に寒くなった。
踵を返して道を降る。今度は分岐点を見逃さないように注意して歩いた。しかしやはり見つからないまま六合目まで戻ってきてしまった。(注:僕の持っている1986年の山岳地図には吉田口6合目から須走口本六合までお中道が有る。後日、2002年版で確認してみるとお中道は無くなっていた)仕方なく、混雑している吉田口登山道を登ることにした。
8月最後の日だというのにツアーの団体が多いのには驚いた。30人くらいのパーティーで年齢、性別もバラバラであり、これをまとめるツアーコンダクターも大変であると思う。それにしても初老の女性と二十歳くらいの若者が同じパーティーというのはやっぱり変である。体力に差がありすぎるような気がする。観察してみるとすごくゆっくりした歩調で登っていてしかも休憩が多い。体力の無い人を基準にしているのは分かるがこれでは体力がある人はイライラしてかえって疲れてしまうような気がする。
登山客は前回に比べると少なかった。それでも登るときはいつも前の人のお尻を見ながら歩く位に混んでいる。景色はガスに覆われて何も見えないのでただひたすらジグザグの道を折り返し登るしかなかった。

宝永山からの富士山
強風の中でシャッターをお願いしてご迷惑かけました
山小屋をいくつか通り過ぎ、七合目にある鳥居のところまで登って休んでいると、僕と前後して歩いていた団体ツアーのリーダーが「皆さん、今日泊まる山小屋が見えてきました。もう少しですので頑張って登りましょう!」と言って8合目辺りの小屋を指さした。僕の予定では今日中に8合目まで登っておきたかったし、その体力も残っていた。しかし団体客で8合目辺りの小屋は混みそうだったので予定を変更してすぐそばの東洋館に泊まることにした。
小屋に3時半に入ってみるとなんと一番乗りで他には客は居なかった。富士山では山小屋が10分置きにあるので、今日中に登れるだけ登ってしまおうとする登山者が多いのだろうか?。窓の外の喧騒とは別世界のような静かな小屋の中で一人ポツンと座敷に座ってお茶をすする。
小屋番さんにお中道の事を訪ねると「今ではお中道を歩く人は無く道は荒れている。道が無くなっている箇所も有り、経験者が記憶と感で歩くだけだ」と言うことだった。
4時半になってようやく他の登山者がポツポツと小屋に着き始めた。5時に待ちに待った夕食となった。食事をしている横では登山者がひっきりなしに到着して落ち着かない食事だった。前回の山小屋では夕食はカレーライスだった。それも小さなトレーにほんの少しだけの量だったので全然物足りなかった。富士山の山小屋は立地場所が狭く、おまけに水が無いので食事は質素に成らざるを得ない。今回も期待していなかったが目の前に出てきたのはハンバーグだった。美味くてご飯のお代わりをしてしまった。
食事が終わってもやることが無かった。僕の寝る場所は上下2段に分けられた部屋の上段だったので光は入らず真っ暗で本も読めなかった。小屋の外に出てみるといつの間にかガスが晴れて視界が開けていた。河口湖や周りの山々が夕暮れの中に沈むとポツリポツリとオレンジ色の光の点が輝きだした。「あの光の下には今日を終えた人々のそれぞれの生活がある。。。」とガラにもなく哀愁を憶えるのだった。

砂走りを降る
手を動かさないで走る変な奴
時間はそろそろ6時だというのに登山道を見るとまだまだ沢山の登山者が登っている。他の山では考えられない光景である。
登山者の多くは登山が趣味ではなく、日本一の山頂を目指す観光客である。歩きなれていないのでペース配分もなにもあったもんじゃない。とにかく全力で登るのであっちこっちに疲れてぶっ倒れている奴がいる。それに装備も身近なもので身を固めているのでどこかちぐはぐである。いかに小屋泊りだとしても小さ過ぎるザックの中には何が入っているのだろうか?。靴がズックの奴は雨が降ったらどうするのだろうか?山小屋が多いので何とかなるのだろうか?。僕から見れば首を傾げたくなる奴らばかりだ。
ただそれでいて楽しそうに一生懸命登っている姿はやっぱり良いものだ。
その夜の出来事に移ろう。夕食の時にウイスキーをシコタマ飲んだので眠くて7時に布団に入った。
夜中に話し声で目が覚めた。時計を見ると10時だった。隣の女の子と両親の3人のボソボソとした話し声が静まり返った部屋でやけに大きく聞こえる。女の子が「心臓がドキドキして眠れない」と言っている。僕が思うに単に初めての山小屋に興奮しているだけだと思うのだが両親の心配の仕方は尋常ではなかった。「ひろちゃん!大丈夫?」「苦しくない?深呼吸して」「これきっと高山病よ!あなた、酸素ボンベ買ってきて!」夕食の時、この女の子が美味しそうにハンバーグにかぶりついていたのを思い出した。そんな子がどうして高山病に見えるのか?馬鹿くさいと思いながらも僕は話が気になってしまい眠れなくなってしまった。
そのうちに母親が「山小屋の人にひろちゃんを診てもらって!」と言い出した。懐中電灯の光が飛び交う。「ゴン」と音がした。親父が天井の柱に頭をぶつけたみたいだ。親父と娘が梯子を降りて行った。さあ、今のうちに眠るしかない。風の音だけしかしない静かな今のうちに眠ってしまうのだ。
ウトウトしかけた頃、「ゴン」と音がした。子供を診察してもらった親子が戻ってきた。親父は又、天井の柱に頭をぶつけた。戻った途端に母親を交えての会議が再開した。「興奮しているだけだそうだ」と親父が説明している。ほーら!僕が思ったとおりだ。
しばらくすると落ち着いたのか、会話は途切れ親子の寝息が聞こえてきた。やっと静かになった。これで眠れる。。。と思ったと途端に親父のイビキが炸裂した。

イビキと格闘していると「12時半になりました。ご来光を見られる方はそろそろ出発の時間です」と小屋番さんの声が部屋に鳴り響いた。だけど起きる人は少なかった。望みをかけたが隣のイビキ親父も起きる気配は無かった。こうなったらイビキがうるさい時の作戦その1”頭と足を逆にして寝る”を実行する。作戦成功でイビキが気にならなくなった。これでやっと眠れそうである。眠りに入る前にこの親父に一言云いたい。。。「帰りに馬のうんこ踏め!」


オンタデの赤い実が風に揺れる
。。。と言うより失敗写真?
3時に起きて朝食の弁当を食べる。なぜ朝食が弁当なのか?山頂でご来光を見た後に食べるためだろうか?温かい味噌汁が欲しい!
外は風が強い。こんな日に外で弁当を食べるのは面倒だし腹が減っていたので小屋を出る前に食べる。前回の登山の時にはご来光を見れるように夜中に小屋を出た。小屋を出てみると人々の手にした懐中電灯の光が一本の線となって頂上まで続いているのを見て驚いた。
今回、僕は頂上でご来光を見る気はしなかったので日の出の時間より遅い6時に山頂に着くように出発した。登山者は前回より少なく、自分のペースで歩くことが出来た。途中でよく目にした光景は徹夜で歩いて山頂を目指す人が登山道の所々で風を避けて仮眠している姿だった。これも富士山ならではの光景だろう。
9合目辺りを歩いているときに日の出を見た。ジグザグ登山道の上から下からあちこちから歓声があがった。雲に隠れての日の出だったのであまり綺麗ではなかったがそこは富士山のご来光である。どうしても感動させられてしまうのだ。
それにしても山頂はすぐそこに見えているのに中々近づかない。山頂がデカイので遠近法で近くに見えるせいなのだろう。山頂まであと100m位の所でとうとう大渋滞につかまった。しょうがないといえばそれまでなんだけれど、登山者の中には疲れて立ち止まる人もいる。その時に道を除けて後続の人に道を譲れば良いのだけれど観光客はその考えが無い。誰かが立ち止まるとその後はまったく動かないことになってしまいイライラした。

山頂に到着した。人でごった返している。それに風が強い。合羽がバタバタとうるさく、人が歩くたびに舞い上がった粉塵が目に入って痛い。あまりの風の強さにびびったのか?登頂してすぐ下山を始める人も少なくなかった。
風が強いが天気は良くお鉢周りを楽しむ。朽ちかけた測候所の跡が荒涼とした風景を一層寂しく見せる。遠方に見える南アルプスの白峰三山も荒川三山も自分の高さより低いところに見える。「やっぱり富士山は日本一の高さだ!」と改めて感心する。強風の中で幕営している猛者のテントが10個くらいあった。「この強風の中でよく設営できたな」と感心した。僕がカメラを提げているせいなのか?数人の外人さんから写真を撮ってくれと声を掛けられる。それもほとんどが日本語で話し掛けられる。外人さんの語学力に感心する。
いっぱい感心したのでそろそろ下山することにした。


五合五勺からの富士山
御殿場口からの表情は良い顔しています
御殿場口登山道を降り始めてすぐに宝永山のなだらかな山容が目に映る。今回、下山道に御殿場口を選んだのはこの宝永山が見たい為だった。玄武岩の茶褐色の溶岩台地に草花の緑が鮮やかだ。
登山道は粗い砂地なのでズンズンと踵を蹴りこみながら歩く。7合目あたりからは有名な砂走りとなり快調に降る。
分岐点から宝永山に向かうと前進する度に段々と風が強くなってきた。宝永山の頂で風は最強になり風圧でなんとなく呼吸もしづらい感じがした。でもそこには雄大な展望があった。爆裂火口の見せる荒々しい富士山の姿だ。写真を撮りたかったのだが強風で三脚が立たない。近くに居た女性二人に撮影を頼んだ。カメラを構えている女性ををもう一人の女性が支えながらの撮影となり、かなり迷惑なお願いだった。
宝永山からすこし戻って再び砂走りを降る。五合目の駐車場まで砂の道がずっと続いている。
富士山を見る。なんて雄大な景色だろう!なんてなだらかな稜線なんだろう!昨日の吉田口登山道から見せた表情とは別で同じ山とは思えない。今まで富士山は「遠くから見ると魅力的だが登って見る素顔は平凡だ」と思っていたが「やっぱり富士山は綺麗な山だ!」と感心した。くそぉ!今日はやけに感心する日だ。
「この感心は写真に撮るしかない!」とカメラを構えると首から提げたままだったカメラは砂まみれになっていた。合羽を着た全身も砂まみれになっていた。そばに居た男性の鼻の穴も真っ黒になっていた。それを見てニヤーッとした僕の鼻の穴も真っ黒になっているに違いない。
五合目に近づくと道の脇にオンテダやフジアザミが群生していて頑張って花を咲かせていた。こんな砂地に生息する植物も大変だと思う。もちろん感心した。

五合目の茶屋で休憩。ここから御殿場駅までの歩行がまだ残っている。天気予報では「今日も最高温度34度位になるでしょう」と馬鹿なことを言っている。9月だというのになんて暑さだ。7月の終わりに鳥海山から遊佐駅まで歩いた時よりも暑い。
アスファルトの道をひたすら御殿場駅を目指して歩くのは辛かった。でもそんな時、僕を元気づけたのは道に落ちているエロ本ではなく、やっぱり富士山だ。振り返るといつも富士山が見える。宝永山や登山道までクッキリと見える。「あの頂上から良くここまで歩いたなぁ!」と駅に着くまで感心し続けたのだった。

参考

山小屋の水は全て有料。(標高が高くなるほど値段も高くなる)トイレも全て有料。ほとんどの山小屋が営業するのは8月31日まで。
御殿場口新五合目へのバスも8月31日まで。(青年の家から御殿場駅までは市バスが通年運行している)

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