燧ヶ岳

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩、***:車)

◆6月11,12日
浅草(23:50) +++ 会津高原(3:18/4:30) === 沼山峠(6:30/6:40) --- 尾瀬沼(7:20/7:40) --- 沼尻(8:20/8:30) --- 燧ケ岳(10:30/11:00) --- 下田代十字路(13:30/14:00) --- 竜宮十字路(?) --- 鼻ノ山(16:10) (小屋泊)

◆6月13日
鼻ノ山(7:00) --- 鳩待峠(8:10/8:30) --- 分岐(9:40/9:45) --- 笠ヶ岳(10:50/11:20) --- 避難小屋(12:30/13:30) --- 湯の小屋(ゲート)(15:25/15:30) *** 渋川 (16:35/17:02) +++ 新前橋(17:17/17:20) +++上野(19:13)

山日記

武尊山から見渡すと決して高くは無いが端正な三角形をしている山があった。周りの山々が樹林に覆われているのに対しその山は山頂の岩肌に太陽光が映発して黄金色に輝いていた。地図で調べると笠ヶ岳とあり、いつか登ってみたいと思っていた。
尾瀬は人の多さが嫌で今まで敬遠していたが山ノ鼻から至仏山までの登山道が再開したことを聞き、これを機会に燧ケ岳から笠ヶ岳まで歩いてみようと思った。


大江湿原から見た燧ケ岳
東部鉄道の夜行便に乗って指定席を探した。幸運な事に向かい合った4人掛けの座席ではなく、ドア近くの通路向き二人掛け座席だった。以前、松本行き夜行電車に乗った際、四人掛けの座席が窮屈で眠れなかった事があった。四人掛けの座席に比べ通路向き二人掛け座席は足を伸ばせるので楽だ。おかげで周りの会話も気にならず会津高原まで熟睡出来た。
電車は会津高原でバス待ちのため一時間ほど停車した。「バスが到着しました」と車内アナウンスが有り、皆ぞろぞろと改札に向い夜明け前の暗い中に停車しているバスに乗り込んだ。
沼山峠から歩き始める。噂どおり人が多い。人を追い越したり、道を譲ったりしながらの歩きには神経が疲れる。
30分ほど樹林の中を歩くと視界がぱっと広がり明るい湿原に出た。何だろう?この明るさは。透明な輝きとでも言うか。貧しい僕の脳細胞ではこの情景を上手く表現出来ないのがじれったい。これが尾瀬なのか!何のことはないこのありふれた風景に男おいどんは不覚にも感激してしまった。敵の先制ジャブを早くもあびてしまってほんなこつ悔しかぁ!

ただの川も尾瀬では綺麗なのだ でかい魚がいた
僕の中の尾瀬の印象。。。自称お洒落な女の子が「ねえっ!私って綺麗?」光線を発しながらルイビトンやグッチのバッグを提げているのと同じでハイカーにとっての尾瀬は水芭蕉というアクセサリーを付けたブランド名でしかないと思っていた。しかし目の前の光景は素晴らしくまさしく目からウロコが落ちる思いだ。ここは素直に反省しなけりゃいけない。
尾瀬沼は水が綺麗だ。その中をヤマメかイワナかは判らないがでっかい魚影が動いている。子供の頃、何気なく通った小川の橋から黒く光る魚の背を見つけた時の興奮を思い出した。心の奥にしまい込んで忘れかけた遠い日の思い出がコマ落としの映画のように脳裏に浮かんでしまうのだ。
沼尻平からナデッ窪を登る。途中、残雪の急登を登っていると男性が立ち止まったままになっていた。足元を見るとトレッキングシューズではなく普通の革靴だ。観光客がここまで登って来て雪の斜面に怖気づいて動けなくなったようだ。女性だったら手助けするのだがパンチパーマのオヤジなので気にせずに先に進むことにした。
燧ケ岳山頂から見渡すと会津駒ケ岳が目に映った。緑の樹林の中を尾瀬御池からの登山道が山頂まで延びている。平ヶ岳はまだ雪が多く残っていてどこか孤高な山という感じがする。この二つの山に登るのは何時になるのだろう。尾瀬ヶ原は緑のじゅうたんに木道が何処までも続いていて遠く翡翠色に霞んでいる至仏山に吸い込まれ消えていった。

燧ケ岳山頂 山頂にはピークが二つあるのだが問題は漢字が読めなくて名前が分からない
山頂で「これが尾瀬だ!」のストレートパンチを十分浴びたので見晴新道を下山する。
20人位のおじさんおばさんパーティーに遭遇した。これが歩くのがやたら遅い。僕は膝が悪いので下りは人一倍ゆっくり歩くようにしているがその僕が遅いと思うくらいだからとてつもなく遅い。おまけに僕がパーティーの最後部に付いても道を譲る気配も無い。山頂から見た尾瀬ヶ原を早く歩いてみたいという焦燥感のまま下田代十字路に到着することになる。
尾瀬ヶ原は草原である。こう書けば味も素っ気もないがミズバショウの開花には遅く、その他の花には早い時期だった。しかしそこは腐っても尾瀬である。時折、展開する光景にハッと立ち止ってしまうことになるのである。竜宮の沼を覗いてみると水が湧き出ていてその中に無数の魚が舞っている。橋の上から川を眺めると水晶の様に透明な水の中に緑の水草がぎっしりと生き物のようにユラユラうごめいている。空から降り注ぐ鮮やかな陽ざしは大気中の水蒸気に和らげられ周りの草花を黄緑色に輝かせている。これらのえもいえぬ色調の風景がまるで美しい写真集のページをめくるように展開していった。

尾瀬ヶ原を山ノ鼻へ向う 草原の緑が逆光に輝いていた
良い景色は人に安らぎを与えてくれる。尾瀬ヶ原が優しさを僕に分けてくれたので普段より良い男になって山ノ鼻に着いた。
山小屋の部屋は2段ベット作りで青年の家研修センター風だ。水洗トイレになっていて土日以外は風呂も有るらしい。
ビジターセンターに行ってみるとそこの掲示板が僕をガッカリさせたのだった。
「自然保護のため至仏山は登山禁止」

翌日、予定変更して鳩待峠から笠ヶ岳に行くことにした。本当に実に悔しいのである。目の前には雪がまだ少し残った至仏山。せっかくの梅雨の中休み、群青の晴天に残雪の白と新緑が眩しすぎるぜ!まったく。

泣く泣く鳩待峠まで行き、右折して笠ヶ岳を目指す。急に人が居なくなるが不安は全然無い。所々残雪が登山道を隠しているが迷う程でもない。

いやーっ!ついに来ました笠ヶ岳。山頂は僕一人の独壇場。なんでこんな良い山に僕一人なのか不思議な気がする。あっ!至仏山が見える。[お前に会いに来た奴がここに居ることを忘れんなよ!]
谷川岳や越後の山々はまだ雪が多い。僕の未熟な登山技術では遥か遠い山に思える。武尊山は逆光だがシルエットに特徴があったので直ぐに分かった。以前あの山からこの山を見ていたんだと思うと妙に懐かしい。


川の中を見ると水草が一面に揺れていた
尾瀬の山々に別れの挨拶して湯の小屋に向う。
ガイド本では咲倉沢頭避難小屋は良く整備されているとあったが来て見ると入り口の扉が無く、室内は荒れ果て崩壊していた。
部屋の棚に薄汚れたノートを見つけた。雨に幾度となくさらされたのだろう、紙は波打っているし付着した泥が染みになって文字をかき消そうとしている。ぱらぱらと中を読んでみる。。。普通こういうみんなの思い出ノートには「素晴らしい!とか、楽しかった!、来て良かった!」と書けばいいものを「疲れた!、寒い!、最悪!」とは何事だ!まったくバカな奴らがいるものだ。
山小屋の外壁に取り付けてある梯子をよじ登り屋根に上がる。暖かな日差しの下、緑の木々を通り抜けて来た風が心地よく疲労した肢体と同化して武尊山の頂へ無限に広がっていくような錯覚を覚える。
ポケットから丸めたノートを取り出す。少し日光に当て乾かしてあげよう。次にここを訪れるバカな奴のために。。。

山ノ鼻から見た至仏山 登山禁止にガッカリ!
改めて最初の1ページを開いてみる。
「灼熱の太陽に照らされて息を切らし、やっとの思いでここまでたどり着いた奴の額に光る汗」「寒さに震え夜明けをひたすら待つ長い時間」「崩壊した小屋の中にテントを張り、何時止むとも分からない雨音を聞きながら眠る不安」ページをめくる度にいつの間にか心は過去への傍観者へとなっていた。このノートに出てくる奴は皆かっこ悪い。でも”山ヤ”はこれで良いのだと思う。筋肉の痛み、心臓の鼓動、骨の軋みに自分の人生を重ね合わせているのだ。僕も素晴らしきバカを目指しどんどん挫折しよう。
結局、最初の1ページから最後のページまで読んでしまった。いかん!大幅に予定時間が遅れてしまった。慌てて湯の小屋に向けて歩き出した。
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