武尊山

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩)

◆8月23日
上野(6:16) +++ 高崎(8:02/8:22) +++ 水上(9:40/9:45) === 久保(10:12/10:20) --- 手小屋沢避難小屋(13:20/13:30) --- 沖武尊(15:10)(テント泊)

◆8月24日
沖武尊(5:40) --- 前武尊(7:30/7:50) --- 旭小屋(9:40/9:45) --- 川場温泉口(11:20/11:57) === 沼田(12:35/13:07) +++ 高崎(13:56/14:09) +++ 上野(16:15)

山日記

まったく。。。マイナー、アングラ、B級、インディーといずれにしても日本百名山しては全く目立たない山だ。
名前は著名な穂高岳に似ているが山岳雑誌の対応はいつも冷たく、”山と渓谷”の目次にクレジットされることも無い。かろうじて”ハイキング”の投稿欄に居場所を探しているしまつだ。僕の山岳地図にも谷川岳のB面として3色刷りでしか載せてもらえない悲しさ。
深田久弥がなぜ百名山に選んだのか?こりゃ自分の目で確かめるしかない。

百名山としては人気が無さそうな山なので出来れば日帰りで登山したい。登山口までタクシーを利用すれば日帰りも可能だが、タクシー利用の登山は80歳になってからと決めているのでそれまではバス利用で頑張るしかない。色々と登山コースを検討してみたがどのコースも登山口までのアプローチに時間がかかってしまい日帰りは無理だった。どうしても手小屋沢避難小屋に一泊するしかないようだ。
地図に載っていた避難小屋の問合せ先に電話をして小屋の状態を尋ねるてみた。「小屋はドラム缶型で居心地は良いとは言えないですよ」、「テントの方が快適ですよ」と言う返答だった。しかし地図にはテント場の印は無い。「テントはどこに張るんですか?」と尋ねると「頂上に4,5張りは張れますよ!」と答えが返ってきた。
気が重くなった。少しでも荷を軽くするため避難小屋に泊ろうと思ったのだが小屋の管理人がテントの方が良いと言う位だから小屋の状態が想像できる。やはりテント泊しか方法は無いのだろうか?テント=重い=疲労=地獄という観念が頭を過ぎる。
それにもう一つの心配は僕は今までテント場以外で幕営したことが無い。水は下からもって登るのか?山頂にテントを張れそうな平地はあるのか?など不安な点がある。だがそれにもまして一番心配なのは山頂にまさか僕一人???という不安。
人が少ないとゆっくりと自然と接する事ができる。山と一対一で対座すると自分も地球に抱かれたしがない一つの生命であると感じて素直な自分を取り戻すことが出来る。
しかしいくらなんでも山頂に一人は心細い。テント場の幕営では周りに他の登山者が居た。いくら自然が好きだとはいえ僕も現代人なのだ。漆黒の闇の中に一人とり残されて一夜を過ごす自分を想像するとどこか不安を感じないわけにはいかなかった。お化け、幽霊におびえる歳ではないが先輩から聞いたり雑誌で読んだ山の怪談話が脳裏をかすめる。血に飢えた熊の咆哮が谷間にこだまし、平家の落武者が怨念を込めたすすり泣きが風に紛れて漂う。山での遭難者が仲間をもとめてテントの周りを。。。

なんだか急に行く気がしなくなった。気分は乗らないのだがとりあえず準備をする。久々に押入れの奥からズリズリとテント一泊セットを引きずり出した。


尾根道まで登ると山頂が見えた
久保でバスを降りる。天気が悪かったら計画は止めようと思っていたが晴れてしまった。降りたのは3人で観光客らしい夫婦と僕だけ。
おいおい!人が少ない。これでも日本百名山なのか!それにしてはちょっと人気が無さ過ぎるぞ!
これだけ人が少ないと言うことは今夜、頂上での幕営は僕一人になる可能性が大きい。それは非常に困るのである。
心の中はこれから登ろうとする山の景観への期待よりも山頂での一人幕営の不安でいっぱいになった。
舗装された道をどんどん進んでいく。しばらく歩き、道が鋭角に折れ曲がった地点で登山道に入る。登山道は小さな沢沿いで涼しく、水の心配もしなくて良いのだが全然誰とも会わない寂しい道だ。
じめっとした道を辛抱して登って行くと名倉ノオキからは一転して尾根歩きとなり景色が良い。見渡すと緑の山並みが続いて、その中に黄金色に光る三角形をした山が見えた。地図で確認すると笠ヶ岳とある。”ほたか”といい、笠ヶ岳といい北アルプスから著作権で訴えられそうだ。でももしかしたらこっちが先かもしれない。それにしても笠ヶ岳は北アルプスに負けない綺麗な山だ。いつの日か登ることがあるだろうか?

登山道に入って3時間ほどで手小屋沢避難小屋に着いた。2〜4人用の鉄製、蒲鉾型の小屋だった。入り口の扉を開けると小屋の中はジメ−ッとしてカビ臭く、色あせた新聞紙の切れ端が泥にまみれて散乱し最近は使われていないような感じだ。電話で聞いたようにあまり居心地が良さそうではない。小屋の前には小さな沢があり、川底の小石を避けた水がキラキラと太陽の光を反射して流れていた。ここで水を補給して頂上を目指す。


武尊山頂から見た武尊 他の登山者は降りてしまって一人だけの景観
小屋を過ぎ歩いていると武尊神社からの登山道が合流し急に人が増えた。武尊神社に車を停めて山頂まで日帰り登山がメインルートなのだろう。人が増え、明るい緑の登山道を歩いて行くうちに幕営の不安は忘れていつもの登頂を目指す気力が充実してきた。より上を目指す元気も出てきた。ちょっとした岩場があるがぐんぐん登っていく。
木々の間に緑に輝く山を見つけるたびに山に来て良かったという思いが重なり合っていく。

パッと光の中に飛び出る。周りにここより高いところは無い。頂上に着いたのだ。
着いた瞬間に感じたこと。それは一言で言えば明るいということだ。頂上から見渡すとどの山も夏の太陽に照らされて緑がキラキラと輝いて眩しいばかりだ。その中でも特に目立つのが尾瀬の両雄、至仏山と燧ケ岳が肩を並べている姿だ。
頂上に立つ度に思う事がある。苦しく長い道を登って来て頂上に立った瞬間、誰もが主役だということだ。たとえ周りに大勢の人が居ようと山は一人一人に主役の座を与えてくれる。ところが今日はどうだ!この瞬間、頂上には僕一人だ。本当に主役は僕一人、この360度の展望が独り占め状態なのだ!


山頂でお酒を飲んでいたら雲が茜色に
ザックからテントマットを取り出し頂上にバーンと広げた。靴を脱いでドンとあぐらをかいた。靴下も脱ごう、気持ち良い!シャツも脱ごう。
どうせ誰も来やしない。えーぃ!ズボンもパンツも脱いでしまおう!。。。ぐふふふっ!マットの上で恍惚の薄ら笑いを浮かべていた。
オチンチンに日光浴をさせる事もそうあることではない。目を閉じても太陽の日ざしがオレンジ色のスクリーンになって瞼の裏を染めている。日差しは強いが爽快な気分で身を横たえた。
突然、男性の話声が聞こえてきた。誰かが登って来た。
まずい!非常にまずい!頂上で全裸になっている男をみたらどう思うだろう?きっと変態にしか見えないだろう。自分のお調子者な性格がつくづく嫌になる。だが今そんな反省をしてる暇は無い。いくらなんでも全裸はまずい!せめてパンツだけでもどうにかしよう!急いでパンツをつかんでズリ上げた。あまりに勢い良く上げすぎて玉を打ってしまった。下腹に激痛が走る。だが今は痛がっている時間も無い。声は直ぐそこまで近づいて来た。もう間に合わない!!!

とっさにマットに寝転がって日光浴をしているように装った。これでなんとか誤魔化せるだろうか?
頭の上で「頂上だぁー!」と言う声が聞こえる。僕はゆっくりと上半身を起こし、いかにも”今起きました”という感じで大きく背伸びをした。それから何も無かったようにおもむろに立ち上がりズボンを履いた。心の中は「もしかしたらオチンチンを見られたかも知れない?」という猜疑心でいっぱいであったが寝ぼけ眼を装い、頂上に居た男性二人と挨拶を交わした。
さっきまで「今日の主役は俺だー!」と有頂天になっていたがこんな演技までしなくてはならないなんて自分の馬鹿さ加減に呆れる。普段だったらここで知らない人とも登頂の喜びに話が弾むのだが、恥ずかしくて顔さえまともに見られない。気まずくて思い出したようにテントの設営にかかった。

設営が終わって景色を眺めていると隣でテントの設営を終えたらしい二人が「良かったら酒でも飲みませんか?」と声をかけてきた。酒は大好きなのだが今回はザックを少しでも軽くするために寝つき用に少量の酒を持って来ただけだった。良い口実を見つけて断ろうとモジモジしていたら「酒はいっぱい持ってきたので心配いりませんよぉ!」と駄目押ししてきたのでお言葉に甘えて仲間に入ることにした。


中ノ岳から見た沖武尊 この付近はまだ歩きやすいが、この後は嫌な岩峰群が連立することになる
風景指示盤に酒とつまみを広げ3人で囲んだ。酒はおろかツマミも二人がここまで苦労してボッカしてきたものである。普通だったら遠慮しなくてはいけないのだけれど、あまりにも二人が陽気で良い人だったので笑いとともについつい酒に手が伸びてしまった。
酒を飲んで山の話で盛り上がっているとそこに単独行の男性が登ってきた。結局、この夜は3つのテントが山頂に並んだ。

夜になって星を見ようとテントの外に出ようとした時、酔っ払って足がもつれ、張り綱につまずき見事に転んでしまった。周りのテントから「だいじょうぶですか?」と声がかかった。なんて今日は最後までしまりの無い一日なんだろう。

翌朝、起きると風が強かった。孤軍奮闘してどうにかテントを撤収、前武尊に向けて出発した。
稜線の気持ち良い尾根歩きだ。家ノ串山から振り返ると沖武尊まで緑の木々の間を登山道がくねくねと続いているのを見ると「ああ、もうこんなに歩いてしまった。もったいない」と思わずにはいられない。しかし家ノ串山を過ぎると目の前に岩場や鎖が現れ、岩場が苦手な僕を悩ませる。

剣ヶ峰から見た沖武尊、剣ヶ峰山 岩場が嫌いな上に風も強く直ぐに逃げる
沖武尊は緑の木々に覆われた穏やかな表情の山である。がしかし山岳信仰の山らしく、こんな険しい一面も持っているのだ。
頑張って鎖を登ると剣ヶ峰の山頂は思ったより広く、沖武尊や剣ヶ峰山の展望が良い。
だが強風のために落ち着いて景色を眺めることが出来ず写真を撮ると早々に通過した。
嫌な岩峰群を通り過ぎると前武尊に到着した。ここにも日本武尊像があり東側の展望は良い。ここで最後の展望を楽しんで川場野営場まで一気に降る。

昨日、山頂で酒を飲んだ二人に「川場野営場の駐車場で待っていて下さい。車で送りましょう」と言われた。この二人は久保に下山し、そこからタクシーでぐるっと回ってここまで戻ると言っていた。だけどこの炎天下に何時間待てば良いのだろうか?山頂で吹き荒れていた風もいつの間に止んでいる。二人の好意には悪いけれど予定通り川場温泉まで歩くことにした。

それにしても暑い、全身から汗が吹き出てくる。太陽に焼かれたアスファルトの道路はまさに灼熱地獄だ。
道路の先を見るとゆらゆらと揺らいで蜃気楼を見ているみたいだ。大型ダンプは蒸せるようなドス黒い排気ガスを僕に浴びせて通り過ぎて行く。、予想以上の暑さに水筒の水も既に飲み干してしまった。
咽が渇いた。なんだか頭も痛い。あとどれ位歩くのだろう?。
そういえばこんな場面をどこかで見た感じがする。そうだ映画のベン・ハーにこんなシーンがあった。反逆罪に問われたベン・ハーが奴隷船送りの途中で砂漠を歩くシーンだ。渇きに倒れたベン・ハーにイエスが一杯の水を差し出す。兵はそれを妨げようとするがイエスが「なめたらいかんぜよ!」と一括するとたじろいでしまう。今思い出してもなんとも感動的なシーンだった。主演の夏目雅子が迫真の演技だ。。。なんで夏目雅子がベン・ハーに???なんか違うような気がする。
そうだ!水を差し出したのはイエスではなくて三蔵法師だった。三蔵法師が孫悟空たちに水を与えるのだ。水を与えられて元気になった猪八戒の西田敏行はやがて日本人初のエベレスト登頂を成し遂げるのだ。

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