鳳凰山

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩)

◆5月21,22日
立川(21:51) +++ 高尾(22:10/22:25) +++ 塩崎(0:06/6:12) +++ 韮崎(6:17/7:30) === 御座石鉱泉(8:50/9:00) --- 燕頭山(11:15/11:40) --- 地蔵岳(13:00/13:25) --- 観音岳(15:30/15:40) --- 薬師岳(16:10/16:20) ---薬師岳小屋(16:30) (小屋泊)

◆5月23日
薬師岳小屋(5:50) --- 薬師岳(6:00/6:10) --- 観音岳(6:30/6:40) --- 地蔵岳(8:00/8:10) --- 燕頭山(10:15/10:30) ---御座石鉱泉(12:15/12:30) === 韮崎(13:40/13:46) +++ 甲府(13:59/14:16) +++大月(15:10/15:23) +++ 立川(16:28)

山日記

茅野駅から青木鉱泉行きのバスが出るのが午前7:30、中央本線の始発が韮崎に着くのが午前7:35とバスに間に合わない。仕方ないので前日の終電で塩崎まで行って始発で韮崎まで行くことにした。塩崎のホーム待合室は居心地が良さそうであることを前の八ヶ岳に行った時に確認しておいたのだ。

塩崎に列車が到着したのは夜中の12時6分だった。駅の周りには繁華街のきらびやかなネオンの光は無く、数本の外灯と待合室の光だけが漆黒の闇に囲まれたホームを寂しくポツンと照らしていた。
ホーム待合室の引き戸を開ける。そこには蛍光灯の光に誘われた夜光虫が無数飛び回っていた。でっかい蛾もブンブン飛び回っている。飛び回りながら羽粉を撒き散らしている様で気色悪い。ベンチに這いずり回っている虫を新聞紙で払い落とし持ってきた毛布に包まる。寝ている間にでっかい蛾が口に入りそうな気がして毛布を頭からかぶった。
翌朝、一番列車で韮崎まで行き、青木鉱泉行きのバスに乗った。7時30分発のバスであるが35分の列車の到着を待って発車するということだ。だったら最初から40分発にしてくれたら良いのに!と思う。


鳳凰小屋から地蔵岳までは以外と時間がかかる
御座石鉱泉から歩き出す。天気は薄曇りと良くないが心配していた雪は全く無い。新緑が眩しい道を延々と登って行くと笹原に覆われた燕頭山に到着、鳳凰三山は薄い雲に覆われてハッキリとは見えなかった。ここから30分程歩くと視界が開けて地蔵岳のオベリスクが見え「もう一息だ!」と気合が入る。
鳳凰小屋に到着した。客は意外と少なかった。ここに泊まる予定だったが予定より早く登れたので先の薬師岳小屋まで行くことにした。
この小屋からオベリスクまでは近いと思っていたが歩いてみると意外と長く、おまけに急登で疲れた。

オベリスクは近づいてみるとデカイ
この山を訪れたのは今回で2回目である。だんだん近づいてくるオベリスクを見ると旧友に再会したような懐かしさを感じた。全く変な奴である。相変わらず変な奴である。だけど山のてっぺんが似合う奴である。自然に造形されたのでは無く何者かが意思を持って造作したオブジェのように思える。
稜線から見る北岳は霞みの中でぼんやりと見えた。白い雪がまだ多く残っていてまだまだ夏は遠い日のようだ。
地蔵岳から薬師岳までは平坦な白砂の道が続いている。この道はまったくの白峰三山の良き観覧地であり、右方にいつも北岳を意識しながら歩くことになるのだ。
薬師岳小屋に着いて受付をすると僕をガッカリさせることが起こった。午後3時までに到着しないと夕食は出せないと言うのだ。山の楽しみは素晴らしい景色もそうであるが食事も楽しみである。その楽しみの一つが無くなってしまったのだ!。

他の登山者が食事している間、一人残された部屋で寝転がっているのはつまらないものである。今、どんな食事がテーブルに並んでいるのか気になってしょうがない。空腹で頭の中は食べ物のことで一杯であるが反してザックの中には明日の行動食のビスケットが有るだけだった。
なんでも良いから空腹を満たすものが食堂に無いだろうか?皆が食べ終わった頃を見計らっておそるおそる食堂に行ってみる。テーブルに残された食べ残しのシチューに思わず視線が釘付けになる。「おぉー!夕食はシチューだったのか。羨ましいー!」
半べそ状態で小屋番さんに何か出来ないか聞いてみると「カップラーメンしかないですねぇー」と冷たい返事が帰って来た。夕食としてはすこし物足りないのは否めないがこの際贅沢は言ってられない。
400円と引き換えに目の前に日清カップラーメンがお目見えした。


賽の河原に並ぶ石仏 後ろは甲斐駒ケ岳
普通このラーメンはお湯を入れて3分待つのだが僕みたいな自称カップラーメン通は違う。このラーメンは麺がのび易いということをちゃんと知っている。このラーメンをおいしく食べるには2分半で蓋を開け、15秒でまだ少し固い麺をカップの底から表面までスープが均一になる様に丹念に混ぜ合わせるのがコツだ。しかしここは気圧が低いのですこし長めに2分50秒待って”混ぜ混ぜ行程”に進む事にした。
上蓋を開けると予想通りまだ少しだけ固い麺が箸先に当たる。「いやよ!いやよ!」と麺が抵抗するのを水戸黄門に出てくる悪徳お代官になった気持ちで「良いではないか!ぶふふうっ」と無理やり混ぜてしまうのだ。これで理想の日清カップラーメンが円熟の時”食べごろ”を迎える事ができるのだ。
さらに俺流ラーメンの正しい食べ方を実行しなくてはラーメンに申し訳が立たない。まず割り箸で麺をぐわっと口に押入れ、肺活量の全てでズルズルと麺を吸い上げ一気に胃袋へ流しこむ。またスープを飲む時も両手でどんぶりを持ち上げ、視線はスープに浮いた油の一点を見つめながらどんぶりの底にコショウの粒が現われるまでこれまた一気に飲み干すのだ。後にはキラリと光る額の汗が満足感を表しているのだ。
。。。しかしだ。普段だったらこれで決まりなのだが今の僕にはそんな食いしん坊万歳的な食べ方は出来はしない。腹ぺこぺこの僕の目の前にはカップラーメンが一つしかないのだ。いつもの勢いで湯気の上がった麺を一気に口に突っ込んでしまってはこの貴重なラーメンを直ぐに食べ終えてしまう。これでは余りにももったいない。考えた末に麺を2、3本ずつ口に入れる作戦にした。これだと長時間楽しむことが出来る、我ながら良い考えだ。しかしなんというみみっちぃー食べ方だろう。人が減って寂しさをただよわせる薄暗い食堂の片隅でカップラーメンを2本ずつすする男。なんだか空しさだけの夕食になってしまった。
そうしたら近くに居た宴会中のパーティーが僕を見て「素泊まりにカップラーメンというのも宿泊代が安く上がって良いかもしれないなぁー!」と妙に感心していた。

薬師岳から見た白峰三山
「おいおい冗談じゃないぜ。まったく。ラーメン1個の夕食のどこが良いんだあ?誰も好きでこんなことやってるんじゃねえぞ」。
誤解で感心されている自分が悲しい。空しすぎる。
翌日の朝食は昨夜の分までしっかり食べた。
出発しようとして小屋番さんに水は有るか尋ねると小屋の表に雨水を貯めたタンクがあるのでそれから給水するように言われた。
タンクの蓋を開けて中を覗いて見ると水面に小さな虫が数十匹浮いているのが見える。はたしてこの水はこのまま飲んでも大丈夫だろうか?下痢を起こしそうである。まさかマラリアにかかることはないだろうな!
他の客は下で水を入れてきたらしくこのタンクに近づく人は誰も居ない。しかたなくコックをあけて水を水筒に入れる。水筒の水をおそるおそる口に含んでみる。無味無臭だったので大丈夫だと自分自身に言い聞かせた。

ポツッと一つ小さな石仏が北岳を見ていた
天気は少し霞んではいるが昨日に比べると大分良くなっていた。白峰三山も朝日の中にくっきりと浮かんでいる。
北岳は標高が日本第2位なのでやっぱり他の山に比べて頭1つ分抜きん出ている。数年前の夏にあの頂に立ったはずなのに記憶が余り無い。もう一度行きたいな。そしてその時は忘れないように脳のシワにゴシゴシと記憶を塗りこんでやるつもりだ。
だが待てよ、北岳からこの鳳凰三山を見たその時にこの山の記憶が薄れていたら悔しさに身悶えするかもしれない。そうならない為に今は頭の中の春霞みを吹き払って心の感光板にしっかりと目の前の景色を焼き付けようと思った。
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