三浦富士、武山、小網代の森、荒崎公園

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩、***:その他)

◆ 2021年6月1日
長沢駅 (6:25) --- 三浦富士 (7:10/7:20) --- 砲台山 (7:55/8:05) --- 武山 (8:20/8:45)
--- 津久井浜駅 (9:25/9:28) +++ 三崎口駅 (9:32/9:47) === 油壷マリンP (10:02/10:25)
--- 小網代の森 (11:00) --- 引橋バス停 (11:48/11:50) === 矢作入口バス停 (12:05)
--- 和田長浜海岸 (12:20) --- 栗谷浜漁港 (12:55) --- 荒崎公園 (13:20/13:30)
--- ソレイユの丘 (13:50/14:23) === 三崎口駅 (14:35)
山日記

神奈川の「まん延防止等重点措置」が6月20日まで延長されることになった。
いつ山登りが再開出来るのか?不安と焦燥で梅雨入り前の青空が恨めしかった。

終わりの見えないこの状況にとうとう我慢出来ずせめて電車バスの乗車時間が短い山へ!



三浦富士、武山は標高も低く、それに駅から直接歩いて向かうことが出来るのでハイキングみたいな気安さがあった。

川崎は晴れていたのに長沢駅に着いてみると空一面重たそうな灰色の雲に覆われていた。天気予報では晴れだったのに「何でだぁ!」と思いながらの同じ形の団地が立ち並ぶ緩い坂道を登って行く。

長沢殿前公園のすぐ先に「三浦富士・平和の母子像」の案内板があった。
持って来たガイドブックでは登山口は東光寺の先となっているけどどうやらここからも登れるらしい。
案内板に従って公園横の階段を登って行くとすぐ先に「平和の母子像」があった。しかしその先の登山道は濡れた草が道を覆い地面が見えないほど細かった。
この道も三浦富士への道らしいが地元の人が利用するバリエーションルートだと思えたので不安になり引き返すことにした。
今回の登山には地図は無く、手にあるのは観光ガイドブックだけなのは何とも頼りない。

津久井小学校の先にも「三浦富士登山口」の案内板があった。
この道はガイドブックで紹介されている東光寺を参拝して登山するコースをショートカットする道だと判断し案内板への道へと進んだ。

畑脇の農道みたいな道を進んで行き浅間神社の小さな鳥居を潜った。
いくつもの太陽光発電設備の横をぐんぐんと登って行くと警察犬訓練所があり、ここからやっと登山道らしくなった。

昨夜の雨にまだしっとりと濡れた緑の森の中、誰か待っているかのようなお地蔵さんに迎えられた。

階段状の急登を登って行くと降りて来た男性が僕の存在に気が付いた途端、慌てて手の平で口を覆い頭を下げた。マスクをしていないことを気にされたと思うけどこんな里山でもマスクをして歩かなければいけない現状ってやっぱり尋常ではないと思う。


森の中にひっそりと佇んでいるお地蔵様がハイカーを見守っている。


初夏の早朝通り過ぎるステップの横でその瞳は実に優しそうな微笑み。

お地蔵さんから登ることわずか3分で三浦富士へ着いた。
標高183mの山頂には浅間神社奥宮が祀られていて(浅間神社は津久井浜駅近くにある)わずかに開けた場所から金田湾が見えた。

空模様は相変わらずの曇り空、分厚い灰色の雲が横須賀の街を押しつぶすように広がっている。
ずっと遠くの海の上には小窓のような雲の切れ間から青空が覗いていてそれはこれからの晴を暗示する光に見えた。


三浦富士山頂は小さな島のよう。疲れた漂流者を受け入れる浅間神社奥宮の小さな祠。


山頂にはいくつか眺望の開けた箇所があった。曇り空の下、聖徳久里浜霊園の五重塔が一際目立っている。


あーっ、遠くの空は晴れている!右端に三浦海岸が少し見えたのは少し嬉しい。

三浦富士からは広葉樹の森の中の散策路みたいな道で歩いていると時折小鳥の鳴き声に混じって遠くからタグボートの汽笛が聞こえた。

登山道はやがて林道と合流して歩きやすくはなったけどどこか拍子抜けした感じは否めない。
道の両側にはトキワツユクサ(常盤露草)が花壇のように群生しており昨夜の雨に濡れた緑の小葉をキラキラと輝かせていた。


大塚山へは広い林道歩き。道の両側には昨夜の雨に透き通ったトキワツユクサが群生していた。

大塚山へ行く途中にある見晴台へ来てみると南の方から段々と青空が広がって来ているのが分かった。ただその青空は白く霞んでいてその下に広がる景色を色ざめさせ一層遠くに見せていた。


ミサイルランチャーを思わせるデザインのベンチがあった展望台。とっておきの青空が広がって行く!


展望台からの三浦海岸。青空に両手を差し込んでググっと押し広げたい。

大塚山へは山頂へ向けて弧を描くように緩やかな道を登って行く。
やがて目の前に白い電波塔が現れ、その横にぽっかりと砲台跡がすり鉢状の大きな口を開けていた。

砲台の中央部に高角砲が据え付けられ横須賀湾に来襲する船を狙い撃ちするのが目的だったらしいけど今は周りぐるりと草木に覆われてしまって海は見えない。
それにここから海まではかなりの距離があるので小さく見える船を狙うのはかなり難しかったのではと思う。


緑に包まれた分岐点。こんなに広い林道を歩いて行く。


もう海は見えなくなった砲台跡。四角い穴は弾薬の格納庫。天気が悪い日には何となく来たくない。

今日の横須賀の最高気温予想は24℃だった。
常緑広葉樹の森の小径歩きは熱くも寒くもなく心地良い散策だった。

見上げる度に枝の間に青空が増えていく。
日差しが森を照らすとその隙間に霧が湧き上がり蜃気楼のような光の柱が目の前を横切って行く。
今朝、横須賀の街を覆っていた灰色の雲も昨夜降った雨が気温の上昇に伴ってにじんだアスファルトから湧き上がったのかもしれない。


眩しい光の柱が視界を突き刺す。早朝の森でたまに見られる小さな「天使のはしご」。

「待てば海路の日和あり」
武山山頂は広くて寺院や展望台があり山というより高台の公園だった。
そしてその上空には眩しいほどの青空が広がっていた。

展望台に登ってみるとほぼ360度の展望だったけど大気が白く霞んでいるので東京湾や相模湾の遠望は出来なかった。

展望台の階下にある休憩室で休んでいるとたまにハイカーが登って来るのだけど皆さん少し歩き回ると休憩もせずに次々と下山して行く。
さすがに標高200mの山頂に疲労困憊は存在しないみたいだ。


アゼリアハウス(展望台)からの山頂の様子。木々の間に寺院、電波塔や休憩所がある。


武山山頂からは一際存在感の横須賀リサーチパーク。どっしりとした建物に風も止まって見える。


金田湾方面は空なのか海なのか、うつむいた空の青がはみ出してその境界線が分からない。


高気圧が張り出した山頂は紫陽花も元気なんだけど・・・雨の方が良かった?


武山不動院に行くとそばの木をタイワンリスが忙しそうに行き来していた。

武山からの降りは長く急な階段だったけどその階段も10分ほどで終わりあっけなく車道に飛びだした。

黄色のハイキング案内板に従って歩いて行く。
畑の中の農道や津久井川沿いの遊歩道は「なぜこんな道がハイキングコース?」と思うほど狭かった箇所もあったけどアスファルトを歩くより靴底一枚の厚さで三浦半島を感じられたのは確かだ。


武山から降りは急な緑のトンネル。これも街と共存する低山ならではのあり方なのかも。


津久井川の側面にはノアサガオ(琉球朝顔)のグリーンカーテンが色鮮やかだ。

津久井浜駅から三崎口駅まで電車で、そして油壷マリンパークまでバスに乗った。
今回は「三浦半島1dayきっぷ」を使っているのでこうした立ち回りには便利なのだ。
次の目的地は「小網代の森」なのでマリンパークまで行く必要は無かったけどせっかくだから油壷の海を見たいと思った。

バスを降りマリンパークの左側から海岸に向かって降りて行くと館内からイルカショーらしいアナウンスが漏れ聞こえた。
10m程先を歩くサンダル履きの男性の背中には60Lほどの青いデカザック、そして手には食料品が入っているらしいレジ袋を提げている。どうやら海岸でキャンプでもするみたいだ。

階段を下り、せぇーの!で砂浜に飛び込んでいく。
灯台も岩礁も波の先まで溶け出しそうな群青に縁取りされた景色が目の前に押し寄せる。

右の方は岩礁、左には砂浜が広がっているけど持って来たガイドブックには油壷のページが無いのでどこに何があるのやらさっぱり分からない。
砂浜を歩いて行けば先に見える灯台まで行けそうな感じだけど今回は時間が無いのでフナ虫のコロニーを歩き回るだけど引き返すことにした。


海が見たかった!というわけで今日は初めての海とご対面。足元にはフナ虫の大群で足の踏み場に困る。


マリンパークからシーボニア入り口まで歩く途中にあったどこか懐かしい感じの魚屋さん。

マリンパークからシーボニア入口バス停までトコトコと車道を歩いて小網代湾へ降りて行く。
特に案内板は無かったけれど方向さえ間違わなければどの道を下っても迷うことはなさそうだ。

小網代湾は漁業とリゾートが共存しているような港で漁船とヨットが堤防を挟んで停泊し、天草が干してある横にサーフボードが並んでいる。


小網代湾は漁港とマリーナの共存する小さな港。緑の入り江にはヨットが並んでいる。

少し汗がにじんだガイドブックを片手に小さな森を抜けると目の前に草原が広がった。

草原の真ん中にあるサビ色の休憩所から小学生らしい団体が一列になって影をひく姿が懐かしい夏の思い出に重なって見えた。

小網代の森は小網代湾に流れ込む小川を囲む森と緑の湿原が小さな光を集めた小さな優しい影に包まれていた。
森に響く小鳥の鳴声、足元の小さな花、そして渚からの初夏の風が草原をサラサラと揺らし走り去って行く。
こんな海と森が融合したこの小さなシャングリラが民家に隣接するように存在するなんて不思議な感じがする。
気ままに立ち止まったり寝転んだり、それは自分の事さえ忘れてしまいそうな場所だった。


小網代の森へやって来た。小さな谷間の小さな湿原には初夏の日差しを背中に受けて散策する人の影。


草原をのぞき込むと迷路状に小川が湧き上がっている。生物も多くて子供たちに残したい場所。

草原の中の一本の木道に退屈させられることは無かったけど引橋まで緩い登りになっているので初夏の日差しに額には薄っすらと汗がにじんだ。

ガイドブックに紹介されていたように小網代の森は引橋から小網代湾へ降って行った方が楽だ。それにハイキングのラストシーンはやっぱり小さな海のお出迎えがお似合いだろう。

散策が終わった時、何か見忘れたものがあるような感じがした。
再訪した時、忘れ物が見つかるのでは ・・・ そんな感じがした。


裸足になりたいアカテガニ広場。干潟の先で今流行りの立ち漕ぎサーフィンをやっていた。


暑くもなく渚からの風が心地良かったエノキテラスで一休み。あーっのんびりしたい!

引橋から矢作入口までバス移動し、そこから和田長浜海岸までは人気のない民家が続いた。

ふいに子供の呼び声がした。
波だ、白い波だ。
浜に来てみると「コロナウイルス感染拡大防止のため近隣の方を除き海岸への立ち入りはお控えください」と書かれた札が立っていた。だけど海岸を見るとそこはは2、3人ほどの姿しかなく、これでは感染拡大するとはとても思えないので遠慮なく浜へ入らせてもらった。

思わずマスクを外してしまった。
「やっぱり外すのは良くないかな?」と思ったけれど目の前に広がるこの砂浜で感染するとはとても思えないのだ。

マスクを外した時の解放感に自分でも驚いた。
最近は近くのコンビニに行く時でさえマスクをしている。山を登っている時でもマスクしている(これはマスク警察がいると面倒なので)。
頬を撫でる潮風が心地良く、無防備であることが安心なことさえ忘れてしまっていた。

和田長浜は眩しいほど明るく、波が押し寄せた後の濡れた砂の上に薄っすらと足跡を残しながら歩いていると自然と五感が緩んでしまう。

浜の上部には海の家の骨組みが並んでいる。海水浴シーズン前のこのはかなく長閑な情景が打ち寄せる波のフーガと相まって見上げる空の青は一層鮮やかでその色は透けるようだ。


和田長浜は広くてもう誰にも声は届かない、砂浜の影もコロナ禍に沈んでしまうことは無いだろう。


真っ直ぐに瞳を空ける!和田長浜から海の向こうにギリギリの富士山が見えてザワザワした。

砂浜から岩礁に変わると遊歩道を道標に歩いた。
岩場ではしゃぎ回る子供達、釣りをしている人、それにシュノーケリングを楽しんでいる人達の活き活きとした姿はコロナ禍の世情から飛びだしたどこか懐かしいシーンに見えた。

この辺りは隠れ家のような小さな砂地もあってキャンプしたらさぞかし気持ち良いに違いないと思った。テントの中に寝転がって一日本を読んで過ごす自分の姿を想像すると最高の贅沢に思えた。


佃嵐崎は波が過ぎ去った跡のような孤独な奇岩だらけ。陽気な高気圧の太陽が照り返した遊歩道を歩く。


シマシマ岩に挟まれように小さな砂浜があった。気持ちよさそうなキャンプ最適地を横目に歩く。

栗谷漁港は小さな港で岬脇の階段を昇り降りすると小さなプライベートビーチみたいな白い砂浜に出た。
岸壁に打ち寄せる淡い波はサラサラと音を立てると小さな泡となって足早に砂に吸い込まれて行く。
見合上げると白い建物のベランダでデッキチェアーでくつろぐ男性の姿があった。その男性から見る僕の姿はきっと違う景色なのだろう。
砂浜を見下ろす建物からでは波のパレードに洗われた砂の白さに気が付くことは無いのかもしれない。


小さな栗谷漁港には小さな白い砂浜。ここだけ砂が白いのはなぜ?プライベートビーチなのかも。

栗谷漁港から荒崎公園まではゴジラの背のようなギザギザの岩礁が続いた。
人を寄せ付けない峻厳さを内包している海の岩礁は峻麗な山とどこか似ていると思う。
海面から躍り出たゴジラの背びれのような岩礁は憂いがちな海の背中みたいだ。

数千年の昼と夜を織り込んだよう、海の背中みたいなシマシマ岩礁が広がっている。


ソレイユの丘の観覧車が見えた。こんなに海の近くにあるのか?あそこまでぐるっと回って行くのか!


夜明けの光を待っているかのよう、巨大なシマシマの洞がアチコチにある。

ギザギザ岩礁は「ブラタモリ」で良く解説されている。
海底に積もった泥や砂のシマシマ地層がプレートに乗って海溝に沈み込む際にその一部が押されてシマシマが立った状態で地上まで盛り上がり、雨や波でもろい部分が削られてギザギザなった。らしい。

海の中にも壁がある。
打ち寄せる波の下に動かない波が眠っている。
荒崎公園は遥かなる波がたどり着いて眠り、月の満ち欠けを青い星と眺めて夜明けを持つそんな場所なのだ。


心にはじけたように忍び込んでいく素晴らしい日本庭園のような造形美の中を歩く。


空に向かってつづれ折る、波のハーモニーが重なったような荒崎の岩礁は実写版ゴジラの背中だ。

いかんいかん!荒崎公園は人が多のでマスクを着けなくては!
小さな白いマスクの中の無言にホッとさせられる。

公園は草地が多くてキャンプの誘惑に悩まされる場所だった。ただここはBBQもキャンプ禁止らしいのだけど海岸はOKとその境界線が曖昧な感じだ。

夕日の丘に行って展望台に立ってみると、なるほど西側の綺麗な海が眼下に広がっている。ここにテントを張って夕陽を眺めるには最高のロケーションじゃないか!と思うけれど困ったことにここもキャンプ禁止らしい。


荒崎公園の夕日の丘は西側が開けているのでその名の通り壮大な降り注ぐ夕日の雨が見れそう。

荒崎公園からソレイユの丘へ向かって歩く。ガイドブックではハイキングコースになっているけれどはたしてこの港沿いの道を歩く人っているの? ・・・ 良かった、いた、いるんだなこれが、形式を踏み越えたみたいなカップルや三ツ矢サイダーが似合いそうな?カメラ女子が自分のゴールを目指して前進しているのだ。
僕はと言えば自販機でコーラを買ってのんびりと歩いた。だって僕のゴールはもうそこだ。

ソレイユの丘はハイキングコースのゴール地点になっていたので何の疑問も抱かずにやって来たけど、着いた瞬間に「こりゃ、地雷を踏んでしまった」と思った。
家族連れや若い女の子のグループばかりでオレみたいなオジサンが一人で来るとちょっと気後れしてしまう公園だった。


ソレイユの丘はいろんな施設満載の公園なんだけど ・・・ オジサンの一人歩きは ・・・ 結構いる!

観覧車に向かってゆっくりと日が傾いていく。
園内を1時間ほど散策しようと思っていたけれど「民衆の中の孤独」にいたたまらず一つ早いバスで帰ることにした。こんなことなら荒崎公園からバスで帰ればよかったと思った。

いつも気を付けていたはず「山に登っても観光地には近寄るな!」

ヤマ友の東野さんに言われる「ハードな山登りをしていると山登りが嫌いになるよ!」
でぇ考えた。こんな楽な山登りをしていると三浦半島の山が好きになるのでは・・・

初夏の風に吹かれながらのんびりと歩いた宴もこれで終わる。

あーっ、長い一日だった。万華鏡みたいにくるくると変化する一日だった。
山と海と森と風と、それからフナ虫と薄明りの中の僕の居場所を見つけた一日だった。

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