御岳山

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩)

◆8月8日
立川(21:24) +++ 塩尻(23:45/1:22) +++ 木曾福島(2:33/3:50) === 田ノ原(5:10/5:30) --- 王滝頂上(?) --- 剣ヶ峰(7:40/7:50)--- 二ノ池(?) --- サイノ河原(?) --- 継子岳(9:50/10:00) --- 三ノ池(?) --- 女人堂(?) --- 中の湯(13:20/14:35) === 木曾福島(15:30/16:23) --- 塩尻(16:49/16:55) +++ 立川(19:19)

山日記

ここ、田の原から御嶽山を眺めるのは2度目である。一度目は昨年の夏だった。その時の事は悲惨な記憶になった。。。。
御嶽山は夜行日帰りで頑張れば何とか登れそうな山だ。天気予報では晴れの予想だったので荷物を少しでも軽くするためにレインジャケットは家に置いてきた。こういう時に限って予報が外れるものである。登り始めた時は曇りだったが九合目当たりでとうとうポツポツと雨が降り出した。山頂まで一気に駆け上がると登頂の証拠写真を数枚撮影し今登って来た道を駆け降りた。道が緩やかになり田の原までもう少しという地点で雨は本降りになりレストハウスに駆け込んだ時にはすっかりズブ濡れ状態だった。
おまけに帰りのバスが来るまで3時間もある。ガタガタ震えながら自販機の缶コーヒーをすすっていると時間の経つのがやけに遅く感じられてバスが来るのがずい分待ち遠しかったのだった。


王滝頂上から剣ヶ峰を見る 何にも無い砂漠!
前回、山頂に居た時間は5分も無い。これで百名山の一つを登頂したとは言えない。今回は前回の無計画かつアサハカな行動を反省してもう一度山頂を目指すことにした。

今回も天気予報は晴れだったが田ノ原から御嶽山を眺めると曇りである。なんだか嫌な予感がするが雲は薄く雨になりそうな感じはしない。それにせっかく来たのだし、ここから引き返す訳にも行かない。そうだ!ここまでの交通の便は悪すぎる。塩尻、木曾福島の乗り継ぎ時間は妙に中途半端で寝るのには短いし、かといって起きているのも勿体ない。で結局、眠ったのは木曾福島から田ノ原までのバスの中の一時間だけだった。

登山道には前回と同じく白装束の登山者が目立つ。いかにも信仰登山といった感じである。登り始めは樹林の中を歩くが直ぐにザレ場に変わる。
しばらく歩いていると上から子供をオンブした女性が降りて来た。周りに居た人の話を聞くと学校登山で登った生徒の一人が転んで頭を打ち怪我をしたということだった。生徒をオンブした女性はどうやら先生らしい。子供も可哀想であるが先生も大変である。何人かで交代しながら下山するのであろうが先生も特に登山をやっているようには見えないので子供をオンブして登山道を下山するのは大変であろう。

こういった仏像が登山道に立ち並んでいるので神妙になって登って行くしかない

剣ヶ峰山頂 薄曇の空の下、二ノ池が見えた
「あの子は怪我のせいで山が嫌いにならなけりゃいいんだけれど!」と無事に下まで着いてくれることを願がって見送るしかなかった。
九合目付近からは褐色の荒涼とした場所になる。風に乗って硫黄の匂いがし、木が一本も無くわずかに草が細々と居場所を探すように生えている。それに仏像や祠がいたるところにあってもうなんだか浮かれ気分じゃとても登れない雰囲気の場所だ。
王滝奥ノ院まで寄り道したいのだけれど残念時間が無い!なんかこういうのってすごく悔しい!「逃した山頂は展望が良い」とマーフィーの法則にあるように王滝奥ノ院はすごく良い所に違いない。
山頂直下にある山荘の間を抜けると剣が峰山頂だ。去年来た時には何にも見えなかったので山頂の記憶は全く無い。今日は少し雲が多いがまあまあの展望である。満点とは言わないが何せ前回が最悪だったのでこれはもうOKである。
雲が多くて遠望は利かないが眼下にはコバルトブルーの二ノ池が見えた。山地肌が茶褐色なので池の色が一層鮮やかさを増して見える。前回はもちろん見えなかったので初めて見る池の色に驚いた。綺麗な色だけれど神秘的でもある。

これ二ノ池 茶褐色の岩に覆われたコバルトブルーの池

二ノ池から三ノ池に向う道ではこんな鮮やかな花もひっそりと咲いていた
目の前で池を見たくて「よっしゃ、よっしゃー」と山頂から二ノ池に向けて駆け降りた。風が強くて砂が顔にぶち当たってくる。僕は目が細いのにナゼが目にゴミが入りやすいので仏陀のように半眼状態で歩く。二ノ池は近くで見てもコバルトブルーの色をしていた。南国の海の色を想像させる水の色なのに魚はおろか植物さえ拒絶しているクールな池だった。
二ノ池から継子岳に向かう。登山道のにはやっぱり木は全く生えて生物の存在を否定しているような道である。展望は良いのだが砂漠というか地獄の一丁目と言ったような感じだ。ケルンが無数にある賽の河原を歩くと信仰心がまるで無い僕は「こんな所を雨が降る暗い雰囲気の中を一人で歩いている自分を想像すると少しブルッと来てしまうのだった。
摩利支天山への分岐点に差し掛かる。摩利支天山へピストンしてみたいのだがやっぱり時間が無くて泣く泣く諦めた。次に来た時には絶対に行ってやろうと誓うのだった。少し歩くと右下に三ノ池が見えた。これはまたスゴイ色だ。二ノ池と同じコバルトブルーなのだけれど色が更に濃くなりより神秘的でずっと見ていると水中深く引き込まれそうな感じがする。この登山道は展望が良く、緑の草木も有るので歩いていて爽快な気分にさせる。風が無くて雲が無ければもっと快適なのにと悔やまれる。
継子岳から見た四ノ池と剣ヶ峰 気持ちの良い登山道
継子岳へ近づくと岩が積み重なった道となる。
継子岳山頂は景色が良く中央アルプスが見えた。何だか上手く言えないけれどこのまま心が体から離れて遥か遠くの山まで飛んで行きそうな感じだ。これだけ展望が良く、歩きやすい道なのに人が少ないのは不思議である。
山頂から見る四ノ池はそれまでの池と違って水がなく盆地状態だ。この辺りは剣が峰付近とは大きく違ってのんびりと歩きたいような景色に変わった。

下に見えるのが三ノ池 この景色に何にも説明は要らない!
登山道は四ノ池に降りるように降って行く。四ノ池は継子岳山頂から見ると水が無いように見えたが川が流れていてなんともすばらしい草原であった。小田さんが見たら「コリャ、天国だ!」を連発するだろう。(小田さんは最近山登りを始めたばかりの人で山で良い景色(特に花畑や草原)に出会うと「コリャ、天国だ!」と唾を飛ばしまくる人なのだ。)
川の水を飲んでみると予想に反してあまり美味くは無かった。
再び三ノ池まで戻ってきた。さっきは上から眺めた景色だったが今度は湖畔まで降りてきた。
ここから後は下山道を降りるだけである。時計を見ると予定よりも早く着いてしまっていた。こんなことだったら摩利支天山に行けば良かったと後悔してももう遅い。
休んでいると親子四人の家族ずれがやって来た。子供は二人の男の子で上の子が10歳、下の子が8歳位だろうか?
どうやら上の子は体に障害があるらしく歩き方がぎこちなかった。それでも元気いっぱいで池の水に触れては弾かれたように笑い声を上げている。それにしてもこの家族は実に楽しそうなのだ。お父さんもお母さんも子供達も明るい笑顔が絶えることが無く、山の景色を心から楽しんでいるといった感じがする。
子供達の笑顔を見ていたら、あー!なんだか「やっぱり山って素晴らしいんだよねぇ!」と改めて教えられたような感じがした。いつの間にか僕は素直に自然を楽しむ心をどこかに置き忘れてきてしまったんだろうか?

女人堂(八合目) このまま降ってしまうのが惜しい景色だった
ふと、空を見上げると薄雲が取れて空の青が覗いている。
いつも太陽は雲の上にあるのだ!何をいまさら当たり前な事に感心しているんだろう?
でもその当たり前のことが妙に嬉しく思えてこのまま、どこまでも歩いてゆきたい気分だった。
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