仙ノ倉山、平標山 |
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行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩、***:ロープウェイ) ◆7月22日 ◆7月23日 |
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山日記 またしても天神平までロープウェイを使ってしまった。谷川岳に登るのに西黒尾尾根を登りたいのだがテントを担いで4時間も登りにあえぐ勇気は無くついつい「この次には。。。」となってしまう。 |
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土合駅名物 下りホームから改札へ向う階段 薄っすら写っているのは幽霊ではありません。シャッタースピードが遅くてぶれてしまった僕です。 |
天神平から谷川岳へ向う登山者は何時来ても多い。熊穴沢ノ頭避難小屋を過ぎるとそれまでほぼ平坦だった道が登りになる。 この登山道で不思議なのは途中で完全にバテているおじさん、おばさんが必ずいるということだ。ドカッと道にしゃがみ込み頭をたれて呼吸も荒く「あたしゃ!もう一歩も歩けんもんね」状態だ。谷川岳までのコースタイム2時間半を安易に考えてオーバーペースになっているのだろう。 しかし僕も山登りを始めたばっかりの頃は必ず途中でバテてしまって「もう山登りなんか絶対にしない!」といつも思っていたので人のことを笑うことは出来ない。 |
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万太郎山から谷川岳を振り返る みるみるガスが消えていった |
それにしても背中のザックが重い。バテて座り込んでいるオジサンに「しょうがねえな!こっちはあんたの倍の荷物を担いでいるんだぜ!」と言えたら少しは背中の重さも軽減するだろうがせいぜい「頑張って下さい!」と声をかけて横を通り過ぎるだけ。たまに「でかいザックだね。何キロぐらい有るの?」なんて聞かれた日には鼻高々になり「30キロくらいかな」と10キロも多く申告してしまうのだった。 幸い今日は曇り空で直射日光に照らされることも無くその分暑さも少しやわらぎ楽だ。 それでもやっぱり汗だくだくになって谷川岳に到着した。 あいにくガスっていて何も見えない。 |
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肩の小屋にはおそらくここに泊る登山者が8人いた。寝ている人、コンロで昼食を作っている人さまざまだがどの顔にも目的地に着いてほっと一安心した安らぎの表情が浮かんでいる。肩の小屋はきれいな小屋で一度は泊ってみたいもんだ。 ここで昼食を食べて万太郎山へ向いガスの中に突入。何も見えないガスの中、ただ黙々と熊笹に覆われた尾根を歩いた。ガスは北側の万太郎谷からその湿った風を絶えず吹きつけてくる。しかし登山道が尾根の南側に有るためあまり濡れなかった。一時間ほど歩いたところで谷川岳を出て初めて人と会った。夫婦二人組だった。「この天気だし、誰とも会わないので不安になっていたところだ」と言われた。登山者が鳩の集会みたいにごちゃごちゃ歩き回っているのも嫌だが反対に誰とも会わないの心細いものだ。 |
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万太郎山から見る仙ノ倉山はでかいて登山道は険しい |
大障子避難小屋に到着。まずは水場で冷たい水で喉を潤した。 ガイド本には小屋の周りに幕営箇所有りとなっていたのでテントを持ってきたが既に二つのテントが張られていて空いている場所は無かった。テントの中からは楽しそうな「青春真っ只中だよ俺たちは!」の学生らしい声が聞こえている。 「仕方ない小屋に泊ろう」と中を覗き込む。8人くらい泊まれそうな小屋に5人の先客が居た。困ったことに既に小屋一杯にマットが敷かれていて割り込むスペースが無い。おまけに皆さん睡眠中だ。僕も早く座りたい、寝転んで疲れた体を休めたい。 |
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小屋の中にいるのは自己中心的疲労困憊迷惑中高年集団ではあるが、あぁ!まさか寝ている人を起こして場所を詰めてもらうのも気がひける。加えて一抹の不安が脳裏を過ぎった。考えたら今夜この狭い小屋に僕を含めたおじさん7人が泊るのだ。汗と泥にどろどろにまみれたマダラ模様黄紫色の体臭が小屋中に立ちこめ、その悪臭は防ごうとしても遠慮なく僕の鼻腔の奥へと踏み込んでくるのだ。その臭いに僕の前頭葉は刺激され悪夢に一晩中うなされる事になるだろう。だがまてよ!それだけではない、それに加えて歯槽膿漏ぎみの口から放出されるお酒やタバコの刺激臭が眼をチクチクと刺激し涙が止まらず脱水症状になるだろう。もしかしたら拡声器付重低音炸裂イビキの持ち主がいるかも知れない。小屋の中で鳴き竜現象により増幅されたイビキが共鳴を起こし爆音となって僕の鼓膜に断続的に襲いかかりもはや眠りにつくことは許されないのだ。 | ||
仙ノ倉山は万太郎山から見た印象とは違ってなだらかな山容だ |
テントを設営出来そうな場所は無いしどうしようか思案していたところへ夫婦二人組が到着した。話しを聞いてみると今夜はこの小屋に泊るらしい。いよいよ狭くなるがしょうがない。 ものは試しにこの先にテントを張れそうな場所があるかどうか尋ねてみると万太郎山の頂上だったら大丈夫との事だった。これぞ天の助けとポリタンに水を補給し、その分2キロ重くなったザックを再び担いで万太郎山へ向けて登り始めた。 頂上はそこだけ熊笹に覆われておらずぽっかりと露地になっていた。テントを張り、中で夕食を作っているとテントのナイロンを透して急に外が明るくなるのが分かった。外に出てみると今までガスに覆われていた山々が見る見るその姿を表し始めた。 |
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西に眼を向けると仙ノ倉山が夕日に照らされたシルエットとなって現われた。その奥には山頂が平らなシルエットが特徴の苗場山が残照に輝く雲海の中に浮かんでいる。東の方に眼を移すと今日一日歩いた稜線が谷川岳まで延びていた。「あそこがオジカ沢ノ頭でここが小障子ノ頭だな」と目前の稜線の形状と今日一日のガス中での歩行の記憶とを照らし合わせてみる。 「人生とは重い荷物を担いで登る登山のようなものである」と誰かが言っていた。だが一番の違いは登山には頂上が有るが人生には無いことである。ガス中の歩行と人生と似ているかもしれない。夢中で歩いている時は登りでも降りでも意外と自分の足元だけしか見えてなくて、後になって振り返って改めて自分の足跡を知ることが出きるのではないだろうか。 いかんいかん!何で人生語ってんだ。早く酒飲んで正気に戻ろう!。 |
仙ノ倉山から平標山までは白い道が続いていた |
テントに戻ってハヤシライスを食べながらウイスキーで疲れた体を満たしているとついついほくそえんでしまう。今この雄大な景色を見られるのは僕一人なんだ。下の小屋に泊まらずに頑張ってここまで登って来て良かった。 翌朝は快晴だった。仙ノ倉山までの道の踏み跡はしっかりと有るが熊笹が所々を覆い隠していた。そのためズボンは朝露でぐっしょり濡れてしまって気持ち悪い。 |
仙ノ倉山は360度の大展望だ。梅雨明け後の元気な太陽に山々の緑はキラキラ輝いている。仙ノ倉山から平標山まではなだらかな道で急に増えた登山者も花を観賞したり景色を眺めたり散策を楽しんでいる。ここには魔の山と呼ばれる谷川岳とは微塵も接点が無いように思える。 平標山から苗場山が大きく見える。いつか登ってやろう。日ざしが強いのでこの景色も日光写真みたいに脳裏に焼き付いた感じがする。 |
平標山山頂 後ろに見えるなだらかな稜線は苗場山 いつか登ってみたい |
平標山ノ家へ向っていると小学生だろうか学校登山の子供達が大勢登ってきた。先生のそばにいる子が「先生!あと何分で着くの?」としつこく尋ねていた。”あと何分?”病の子供に先生も大変である。子供達は炎天下でも元気一杯だ。 |
平標山ノ家の冷たい水で喉を潤し一休みした後、大源太山へ向かう。 それにしてもアジアジ暑すぎる。汗が滝の様に額を流れ落ちる。全身の汗腺もフル稼働で汗を噴出す。そのうえ草いきれにめまいがしそうだ。標高が低くなって一段と暑くなったようだ。余りの暑さにくたくたにバテてしまった。 |
大源太山の登りから見た仙ノ倉山と平標山 バテバテ状態で歩く |
もはや大源太山へ登る元気も無くそのまま三国山へ向う。だが三国山でも頂上に登る気力も無く、まき道を三国峠まで降りた。およそ2ヶ月ぶりの山行で体が堕落しているせいもあるだろうがこの根性無しは自分でも情けない。それに何よりも暑くてやりきれない。体中の毛穴は全部開いて熱を体外に放出しているのだろうが頭はどこかぼんやりしてきた。 「こりゃまずい熱射病かもしれない!」と水を飲もうとしたが予想以上の暑さに水筒の水は飲み干してしまっていた。 平標山から元橋に降りた方が良かったと後悔した。 |
法師温泉にたどり着き、汗にまみれたシャツ、パンツ、靴下をザックに放り込み着替えたら大分涼しくなった。 後閑駅で高崎行きの電車を待つ間、両毛線ラーメン街道のパンフレットを見た。どれも旨そうである。しかし冷房の無い待合室でこれを見るのはちょっと暑い。 自宅に帰って一風呂あびた後のビールは最高だ。こんな暑かった日に聴くのはMJQが良い。ビブラホンの音色がなんとも涼しげだ。 参考オジカ沢ノ頭避難小屋:ドラム缶型、4人 |
●山麓をゆくへ |