祖母山 (後半戦突入 編) |
行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩、***:車) ◆5月19日 延岡 (6:40) === 高千穂 (7:59/8:32) === 河内 (9:06/9:10) === 五ヶ所 (9:23/9:30) *** 北谷登山口 (10:00/10:10) --- 五合目 (11:20/11:25) --- 国観峠 (12:00/12:05) --- 祖母山 (12:50/14:30) --- 九合目避難小屋 (14:40) |
山日記 午後6時半、延岡へ着いた。 事前にネットで調べておいた「ビジネスホテル延岡」(\3070円安い!)にチェックイン。 シャワー、洗濯を済ませると、外に美味しい物を食べに出る。 ところが延岡は駅前にビジネスホテルが多い割には飲食店がほとんど無い。 仕方なくホテル近くのコンビニで幕の内弁当、サラダ、ビールを買ってホテルに戻った。 明日の天気は曇り時々雨なので明日は一日ホテルに篭ることに決めた。 今夜はテレビでも見て夜更かししようと思ったけれど、夜9時になったら眠くなってしまった。
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国観峠は広くてテント場のようだ。寒いので水を飲むとすぐ歩き出す。 |
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僕が登ってくるのを山頂で中田さんは待っていてくれた。 「こりゃ、何にも見えないね!」山頂の周りはガスって一面真っ白。登山口では二人で晴れて良かったと散々言い合ったのでこの天気の変化に二人で苦笑した。 風穴コースを降るという中田さんにお礼を言って分かれた。 祖母山の名前の由来は神武天皇の祖母にあたる豊玉姫をまつったことによると伝えられている。 山頂にはその豊玉姫命の祀る祠がひっそりと鎮座していた。 僕がまだ登っていない百名山の内、ネットや雑誌で山の様子を見る限りでは面白そうだとは思えない山が幾つかある。 八幡平、皇海山、恵那山、大台ケ原山、・・・・・・そしてここ祖母山である。 ネットは残酷だ。パソコンの画像で見る祖母山はあまり魅力ある山には見えなかった。 百名山なのだ、絶対に何かしら魅力があるのだ! 自分自身を叱咤しながら登って来たらこの天気だ。 山頂の周りは一面の白い壁。何にも見えない。これじゃ祖母山の魅力を見つけ出すことは出来やしない。 「さっきまでは時々ガスが晴れてましたよ」隣に居たおかあさんが教えてくれたので少し待つことにした。 30分経っても何も見えなかった。山頂にいた人は皆諦めて降りてしまった。 午後2時半 僕が一人山頂に残って1時間半待った。それでも一向に何も見えなかった。 さてどうしよう。今から行けば4時半には障子岳でテントが張れる。 だけどこの天気の中を歩く理由があるだろうか? 僕の好奇心は「三角点にタッチしました」「山頂で記念写真撮りました」だけでは満足しないのだ。 それにこれじゃ祖母山の魅力が永遠に分からないではないか。 山は筋書きの無いドラマだ!って誰かが言ってた。 障子岳テント計画はあっさりと止めて、今日は九合目の避難小屋小屋に泊まることにした。 |
山小屋には太陽光パネルや風力発電機がある。小屋の前にオオヤマレンゲが咲き誇っていた。水場は小屋の直ぐ前。 |
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避難山小屋の入り口の戸を開けるとそこは土間になっていて中にもう一つ扉がある。 部屋の中からラジオの音がする。先客がいるらしい。 部屋の扉を開ける。ラジオの音が大きく響いているだけで中には誰もいない。 部屋の中は避難小屋の様相ではなくてちゃんとした山小屋だった。 壁には料金表の紙が貼られており泊まった人は料金箱に大人一泊\2000円を入れることになっていた。 この小屋は無人小屋ではなかったのだ。(管理人が居るのは土日だけらしい) \2000円かぁー、この料金を見てセコイ僕はテントを張ろうかとも考えた。だけど明日の天気は曇りのち雨だ。朝からテントが雨漏りするのは避けたかった。 この小屋が避難小屋だと考えたら宿泊料金\2000円は高い、だけど小屋素泊まりと考えたら安い。今夜は小屋に泊まることにした。 夕方4時になって太陽がやっと出てきた。もちろんこの時間から障子岳へ向かう考えはない。 せっかくの晴れ間だから空身で山頂へ行くことにした。 |
祖母山頂にはその名前の由来となった豊玉姫を祀る祠がある。 |
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やった、晴れてる!黄昏の中、思わず走り出す。 こんな景色だったのか!まだ雲は多いけれど周りの山々が徐々に見え始めた。 祖母山の山頂はぐるりと山に囲まれていたのだ。 祠に供えられた榊の葉が傾きかけた太陽に光に輝きを取り戻した。 なぜだろ、少しだけ優しくなれた、そんな気がした。 |
山頂から天狗岩を臨む。アケボノツツジのピンクが雲の中からやっと現れた。 |