高妻山

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩)

◆10月10日
東京(6:20) +++ 長野(8:01/8:18) === 飯縄山登山口(9:00/9:05) --- 飯縄山(11:00/11:30) --- 戸隠キャンプ場(?/?) --- 一不動避難小屋(16:00) (小屋泊)

◆10月11日
一不動避難小屋(5:50) --- 高妻山(8:20/8:50) --- 一不動避難小屋(10:20/11:10) --- 戸隠山(1:10/1:20) --- 奥社入口(15:10/15:28) === 長野(16:33/16:58) +++ 上野(?)

山日記

駅の出口に向うとホームのアナウンスや人々があわただしく行き交う雑踏の音が段々遠のき、やがて目の前に長野の街の様子が現れた。駅内の騒音はどこか冷たくて陰気であるが駅を出た途端に聞こえてくる車のエンジン音や街のざわめきは陽気に聞こえる。「なんか遠くまで来たなー!」と感じる瞬間である。
困ったことになった。駅前のバス乗り場で戸隠キャンプ場行きを探したが見つからない。グルグルと歩き回って発車時間のギリギリにようやくロータリーの外れにバス乗り場を見つけることが出来た。
乗車したバスはほとんどが観光客で登山者は少ないかった。
飯綱縄登山口で下車、紅葉に色づき始めた登山道を登る。今の季節が登山には一番である。秋の日差しがポカポカと心地良く、それでいて空気が澄んでいるので爽快な気分で登って行く。南登山道と西登山道の合流点からは見晴らしが良く、すそ野まで緑が広がって広大な景色だ。


五地蔵岳付近から見た妙高山と黒姫山
ところが秋晴れだった空が登るにつれ段々と曇ってきた。飯縄山山頂は雲に覆われて視界は一面真っ白で何も見えなかった。こうなると日差しが無いので寒い。ぶるっと震えながらおにぎりを口に押し込み早々に下山することにする。

ゲレンデを降り、森をぬけるとキャンプ場に着いた。このキャンプ場は車で来ている人が多く。タープを張ってのキャンプは豪華で羨ましい。

歩いているとポツリポツリと雨が降り出し、登山口から登り始める頃にはとうとう本格的に降り出した。合羽を着て登るのはムシムシと暑く、立ち止まっては頭のフードを脱いだり、前のボタンを外したりして合羽の内部にこもる湿った空気を外に出した。
こんな時間に登っているのは珍しいらしく降りてくる人によく声を掛けられた。「今から登るんですか?そうすると今夜は避難小屋泊りですね。」。問題なのは声をかけてくる人全てが口裏を合わせたように「避難小屋はすごい込みようですよ。泊まれるかな?」と僕に心配させるようなことを言った。「おいおい大丈夫だろうか?テントは持って来ていない。小屋が定員オーバーで泊まれなかったらどうしよう!」と段々心配になってきた。

八丁ダルミから見る高妻山 ここから登りが急になる
雨の中、ようやく一不動避難小屋に到着した。小屋の中に入ってみると20人位である。これなら何とか寝れそうだ。
小屋の外を歩いてみるといくつかのテントやツェルトが藪の中に設営してあった。小屋での宿泊を諦めて幕営したのだろう。小屋の周りに平地は無いので藪をかき分けるように設置してある。
テント内はどうなっているのだろう?テント下の草木で底はデコボコになっている筈である。これでは寝るのも食事するのも大変に違いない。この人達のおかげで小屋の人員が減ったことに感謝しよう。
小屋はというと入り口の扉が壊れていて開いたまま閉まらない状態だった。湿気を帯びた冷気がひっきりなしに吹き込んできた。扉近くの人は寒そうにシュラフに包って体を丸めていた。
なんとなくいつもの避難小屋と雰囲気が違うことに気がついた。今まで利用した避難小屋では先に来た人が順にマットやシュラフを広げて自分の居場所を確保しているがここでは座っている人が多いのだ。
隣の人にその訳を聞いてみる。「そろそろ夕方なのに皆さんシュラフを広げませんね?」返ってきた答を聞いて驚いた。「ザックをここに置いて高妻山に行った人がまだ数人戻っていないんです。その人達が戻ってくると当然今以上に小屋は混雑することが皆さん分かっているので今はまだ寝るのを控えているみたいです」「。。。。。」
ザックを土間に置いてもまだ狭い。自分が座っている範囲しか自分のスペースは無い。薄暗くて混雑した小屋の中で夕食を食べながら「こんなに人が多くて今夜は眠れるだろうか?」と心配になった。

高妻山山頂から見た北アルプス 景色は最高!モデルは最低!
7時頃になってようやく最後だと思われる人達が高妻山から人が戻って来たのを合図に皆寝る準備始めた。
ところが最後に高妻山から戻ったパーティーが夕食を食べながらの酒盛りを始めた。円座になって、真ん中にはガスコンロがゴーッと音を立てて炎を吹き上げている。コンロの直ぐ近くにはシュラフに包まった人が寝て居るので見ていて危なかしかった。
宴会中のこのパーティーを見ると装備も年季が入ってかなりのベテランに見える。ベテランだから山でのマナーも良いとは限らないようだ。あまりのうるささに周りから苦情が出て少し大人しくなった。そのすきに僕はシュラフを広げて寝てしまった。

戸隠山の紅葉と黒姫山
翌日は快晴だった。小屋に荷物を残しサブザックで出発する。昨晩の小屋の混雑を考えると稜線歩きは心も一気に開放され、この空のように爽快な気分だ。昨日の雨で八丁ダルミからの登りはぬかるんでいて登りづらい。登りきってしまうと道は平坦になり頂上までは良い景色を見ながら歩くことになる。
頂上からは黒姫山、妙高山それに火打山がすばらしかった。そして僕が意外だったのが北アルプスの白馬三山が近くに見えたことだ。僕の地図では持ってきた「妙高、戸隠」と「白馬」は別冊に編集してあるのでこの二つは領域は遠く離れた場所のような感じがする。だがこうして白馬岳を目の前にすると偶然知人と会った様で嬉しくなる。
景観を十分楽しんだので来た道を引き返し再び避難小屋に戻った。
小屋で昼食にうどんを食べながらこれから向う戸隠山のことを考えた。僕は鎖場が大の苦手である。地図を見ると「蟻ノ戸渡り」という個所に危険マークが付いているのが気になってしょうがない。近くでパッキングをしていた人の良さそうな西田敏行似の男性に「蟻ノ戸渡り」について尋ねてみた。「たいしたことないですよ。楽勝楽勝。カッカッカッー!」と高笑いだ。どうやらとり越し苦労だったようだ。
小屋を出て戸隠山に向う。樹林の中を少し登ると展望が開けた。昨日飯縄山から見た戸隠山はギザギザ頭の壁といった感じだったので「はたしてあの山頂を歩くことが出来るのだろうか?」と心配したのだったが、たまに切り立った崖の上に飛び出すこともあるがそれほど危険な箇所は無い。ここから見える飯縄山はなだらかで奇麗な山だがスキー場が景観を損ねているのは否めない。

戸隠山から見た飯縄山 スキー場が無けりゃ言う事なし
戸隠山頂上にもうすこしという所まで来た時に”蟻ノ戸渡り”が見えた。細かい所までは見えないが人で渋滞していたのは分かった。しばらく眺めていたが人の動きが遅く、中々進んでいない事に不安な気持ちが心を過ぎる。
頂上からは高妻山が雄大に見える。休憩中にそばにいた人と話しをすると今から本院岳、西岳を登って下山予定だということだった。西の方に目を向けると険しい山が連なっていた。その険しさを見ただけでビビってしまった僕にはとても登れそうになく「まったくすごい人がいるもんだ!」と感心してしまった。
そこへ”蟻ノ戸渡り”を通過してきた登山者が到着した。登頂に安堵したのか口々に「恐かった」「もう通りたくない」を連発し始めた。当然「恐かった」の対象は”蟻ノ戸渡り”のはずだ。うすら高度恐怖症の僕は少し不安になる。がしかし登ってきたのは女子高生が半分のパーティーである。女子高生どもはだいだいにおいて物事を大袈裟に言いすぎる。何の話を聞いても「うっそー!」を連発する。女子高生が「きゃわいー!」と言ったもので本当に可愛いものなんて見たことがない。
まあ待てよ?仮に、仮にだ。少しは恐かったとしても女の子に通過することが出来るような道を人生を円熟した僕がビビってしまって、足が震えてしまって、喉がからからに渇いてしまって、瞳孔が開き、頬の筋肉が痙攣するなんてことは考えられない。それにだ。非難小屋の西田敏行は「たいしたことないよ!」と言っていたではないか!
どう考えても全く100%心配ない。

戸隠山から見た高妻山
山頂で景色も十分見た。写真も撮った。”蟻ノ戸渡り”も全く問題ないことに決定した。よし下山開始だ!行くどぉー!

”蟻ノ戸渡り”に段々近づいていく。もう少しというところまで来た時、男性が”蟻ノ戸渡り”を歩いてこちらに向かって来るのが見えた。悠々と歩いているその男性に変わった表情は見られない。「そうだやはりたいしたことはないんだ」と思いながら”蟻ノ戸渡り”の入り口に到着した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
唖然とした。「西田敏行の嘘つき!ぜんぜん大丈夫ではない!」
目の前の登山道は幅50センチしかなく、両側は切り立った崖だ。崖下を覗き込むと高さ30メートル位だが落ちたらこりゃ死ぬな。
北アルプスに行けばこれ以上の高度差があり足場も数センチといった岩場もある。しかし一番の違いはここには手でホールドする物がない。つまり足を踏み外したらそのとたん真逆さまに落ちてしまう。この岩場を歩いてこちらに向かってくる男性を見てみると余裕しゃくしゃくで歩いて来る。地面上の幅50センチの道は歩けるがそれが30メートルの高さだと話は別だ。たいていの人は足がすくんでしまうだろう。
さてこの道を降りなければならないのだがこの男性のように歩いて渡れそうにない。しかたなく岩の道にまたがって馬乗り状態になり少しずつ前進する作戦をとった。しかし前進しようとするとザックの底がズリズリとこすれて上手く進めない。しかたないので赤ちゃんみたいに四つんばいになり進むことにした。これはとてもカッコ悪いうえに、手足を動かすたびに背中のザックが横揺れして安定しないのでヒヤヒヤした。このスタイルで進んでいると「蟻ノ戸渡り」の中間に少し広くなっている所があり、ここで一息入れることができた。
さあ残り半分である。再び四つん這いになり進もうと前を見るとゴール地点に大勢のギャラリーがいて、その目が僕の一挙手一行動を凝視していた。ああ!なんという恥ずかしさ、惨めである。大の男が赤ちゃんのハイハイ歩きしか出来ないのである。それでも何とか”蟻ノ戸渡り”を渡りきった。
そこには60才過ぎと思われる年配の男女20人程が弁当を広げて昼食の最中だった。口々に「どうでした?、恐くなかったですか?」の質問攻めに少しだけヒーローになった気持ちがして気分が良かった。
話を聞いてみると「ここまで登って来たが”蟻ノ戸渡り”が予想以上に困難な道だったので安全を考え登頂するのを断念した」と言うことだった。すぐ目の前に頂上が見えているのに本当に悔しいと思う。
したり顔をして話をしている僕の前に先ほどの男性が下山して戻って来た。もちろん先ほどと同じで”蟻ノ戸渡り”を大手を振って歩いてきた。
ヒーローの座はもはや彼のものだった。

体型と性格の関係でこういう話を聞いたことがある。痩せ型の人は神経質で内向的、肥り型はおおらかで社交的と聞いたことがある。岩場が苦手で小心物の僕は地図に危険マークがあるとすれ違う人に岩場の様子を尋ねることが多い。思い返してみると確かに痩せ型の人は僕の質問に細かく返答してくれることが多く、肥り型は楽天的な返答が多いようだ。今回の教訓を生かして肥り型の人には質問しないようにしようと思う。特に西田敏行に似た人には質問しない。絶対に!

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