あなたの知らない破壊

山を歩いていると道がえぐられて溝になっていることがある。山登りを始めた頃、この溝は山小屋や観光課の人が歩き易いようにワザワザ掘ったものだと思っていた。(そんなわけないだろ!)ところが山登りを続けているうちにこの溝は人工的に掘られたものではなく、登山道を雨水が流れたことによる侵食が原因だと気が付いた。
溝となった道はぬかるんでいたり、溝が深くなってしまっていたり、石がゴロゴロしていたりして歩きづらかったりすることがある。以前の私はこんな時、歩きにくい箇所を避けて道の横を歩いたりしていた。(こういった歩きにくい箇所の横には決まって既に誰かの歩いた跡がある。)
ただこれがいけない!歩きづらいといって道を外れて歩いているとその箇所の植物が絶え、それまで植物によって支えられていた土壌が雨で侵食され、その結果、溝の幅を広げてしまうことになってしまう。

登山道の階段これも同じ。これは道にフラットな部分を作ることによって土砂の流出を防ぐのが目的。(観光化された山では観光客が滑らず歩き易いように階段を作ってある場所もありますが)
だから階段が歩きづらい、疲れるといった理由で階段の避けてその脇を歩いたりするとそこから流水による土壌の侵食が始まる。
ひどい箇所では階段を埋めていた土砂が流出してしまい階段の木枠だけが骸骨となって残ってしまったところもある。
登山道を保護する目的で作られた階段も登山者がその目的を知らないと逆に道を広げるという結果を生んでいる。
知らないっていうのは恐ろしいことである。
バカな登山者ほど自然を破壊している。(以前の私は特にひどかった)


白馬岳を歩いたら、あーんなこともしちゃいけない、こーんなこともしちゃいけない!と改めて考えさせられることがあったので書いてみた(本当は山行記の中で書いていたんだけれど山行記が長くなってしまう、話が散漫になってしまうという訳でここに書きました)

リフトを降りて八方尾根を登って行く。さすがは白馬、さすがは八方尾根!目の前には長い登山者の列。
ここで気になったことが一つ。
最近はストックを使用している人が多い。私も最近、ダブルストックを使い始めた。
でぇ、気になるのがストックの先端だ。テレビで見たのか雑誌で見たのかは忘れてしまったけれど、ストックの先にはゴム先(スリップレスラバーチップ)をつけることを提唱していた。
ストックの尖った先端で地面を突くと開いた穴から地中に雨水が浸透し、土壌が侵食されて道が荒れることになるらしい。
最初、この話を聞いたときは「まさかストックの小さな穴ぐらいで道が崩れることは無いだろう!」と思っていたが、実際、道の両脇に穴を開けながら歩いている登山者の姿を目の前にすると「こんな人が一日、数百人歩いたら道の両脇は穴だらけになっちまうだろうな!」と思えて恐くなってしまった。
ただ何故だろう?私がストックを使った感じではゴム先を付けた方が特に地面が固い場合はグリップ力があって使いやすい。
たぶん、ゴム先を使っていない人の中には最初付いていたゴム先を歩行途中で紛失してしまった人も居るだろう。
私が使っているレキのストックはゴム先をストックの先端に差し込んだだけなので抜けやすい。石に挟まれたり、残雪にスッポリはまってしまって気が付いたらゴム先が無くなっていたことが何度もあった。
ただやっぱり自然保護の為には理由は何であれストックの先端にはゴム先を付けるべきだろう。
ストックは歩きをサポートしてくれるので登山者には重宝な装備だ。ただ山にとってはあまり優しいとは言えないらしい。
何かを得るってことは同時に何かを失っていることだ!と誰かが言っていた。
前を歩く人のストックが地面を突き刺すたびにその言葉を思い出していた。

白馬岳山頂から猿倉への分岐へ向かって降りる。
山頂へ登って来る時にも気になっていたのだけれど、白馬山荘から猿倉への分岐までの登山道でケルンをガラガラと崩している人達の姿があった。降って行くとまだその作業は続いていたので何でこんなことをやっているのか?気になったので訊ねてみた。
「登山道保護のためなんですよ!」と答えた男性の腕には”ライチョウ保護XXX”と書かれた腕章がチラリと見えた。

話によるとケルンが自然に悪影響を及ぼす理由が2つ。
一つはケルンを積み上げるために道の石を動かすとその石の下や周りにあった小石や砂が雨水で流されてしまい、やがては地面が侵食されてしまうこと。
もう一つは、ここのケルンは道のど真ん中にドーンとあるために登山者がケルンの両脇を通り、ただでさえ登山者が多い白馬岳、ケルンの両側にワダチが出来てしまい、そこを集中的に雨水が流れてしまいやっぱり地面が侵食されてしまうこと。
「こうなっちゃうんですよね」と男性が指差す場所を見ると登山道の脇、張られたロープの外には大量に水の流れた跡があった。
「ケルンには遭難者の慰霊、そして悪天候の時の目印という意味があります。ただこの道の両側にはロープが張ってあるのでケルンには目印の役割はありません。慰霊のため一つだけ残し、他のケルンは自然保護のため崩しているんです。」
「でもこうやって崩してもまたいつの間にか出来てしまうんですよね」と苦笑していた。
んー、私もけっこう意味も無くアッチコッチで石を積んだかもしれない!と反省!。

「プレートもけっこう多いんですよ!」
山の名前と山岳会や学校などの団体名や登頂日を書いたプレートを山頂に残して行く登山者もいるらしい。このプレートは本人以外にはまったく価値がなく、ただのゴミと同じなので見つけ次第回収しているとのことだった。(あとマジックインキで石に名前や登頂日を書き残す登山者がいて、これも景観を損ねるので即回収しているらしい。建物などに書いているわけではなく石なので良さそうな気もするがやっぱりダメらしい)
こうやって人が見ていないところでの地味な活動のおかげで山は守られている。
男達の額から大粒の汗が滴り落ちる。
石を運ぶのも重そうだけれど、男性の”自然はなるべく自然のままで”と言う言葉が重かった。

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