あるいは風のモノクローム

前から行きたかった山がある。それは雲ノ平だ。数年前、立山から烏帽子岳まで縦走した時に険しい山々に囲まれた中にポツリと平らな空間を見た。そこだけ空気の流れが止まっている様な感じがした。

会社に入って以来、初めての4連休となった今年の夏休み、男一途に迷うことなく目的地は雲ノ平だ。折立から入山する計画だったが富山行きの夜行バスに空席が無く、新穂高から入山する事にした。
予定はこうだ。
1日目、新穂高−鏡平−双六小屋−樅沢岳−双六小屋
2日目、双六小屋−双六岳−三俣蓮華岳−鷲羽岳−岩苔乗越−祖父岳−雲ノ平
3日目、雲ノ平(散策)−高天原−岩苔乗越−三俣小屋
4日目、三俣小屋−双六小屋−鏡平−新穂高

新宿のバスターミナルから新穂高行きのバスに乗ると隣の男性が話し掛けてきた。2週間前に個沢にテントを張り、北穂高岳までピストンしたらしいのだが天気は雨、おまけに強風で大変だったと僕に訴えてきた。「今回は晴れを信じていいぜ!なんせ晴れ男の俺が一緒なんだから。。。最高の気分を味合わせてあげるぜ!ふっ!」

バスは新穂高に朝6時に到着した。バスを降りて空を見上げる。あいにくの曇り空でどの山の頂も雲に覆われて見えなかった。雲のせいで山が見えないのは残念だが日光も遮断されていて暑くないのでむしろ登りには好都合だ。どうやら神様まで俺の見方のようだ!。天気図を見ると東北に低気圧が停滞しているのが気になるが太平洋高気圧が関東から中部まで張り出していて予報は晴れだった。そのうち太陽も顔を出すだろうと歩き出す。
新穂高から歩き始めて1時間。笠新道登山口でおにぎりを食べていると登山者が次々と到着した。中にはここまで歩いただけで背中にびっしょりと汗をかいた気合いの入った人もいる。俺はといえば眠気も手伝って情けないことにいつにもましての亀走行、ここまでで4人の人に追い越される始末だ!。
昨年、笠ヶ岳に登った時はガスっていたが晴れて暑かった。今日はTシャツ一枚では少し肌寒いくらいだ。あまり休んでいると体が冷えてきたので再び歩き始める。双六小屋までは長い道のりなのだが水場が多く、水をそれほど持たなくても良いので楽だった。水場に着く度に1リットル給水した。
鏡平についてもガスの中。晴れていればこの池に槍ケ岳が写して見る事が出きるのに残念である。白いガスの中で見る池はただの寒々とした薄ボケた沼でしかなかった。
曇り空は歩くのには楽だが双六小屋までの景色は全てガスの中でこうなるとさすがにつまらない。晴れ男の俺としたことがどうしちまいったんだ!こんなはずはねぇー!
双六小屋付近は風の通り道になっているらしく強風だった。小屋の前のテーブルで休憩していると寒くて慌ててフリースジャケットを着込んだ。予定ではここで幕営するつもりだったがガスの中、樅沢岳までピストンしても展望は期待できないので三俣小屋まで行くことにした。
双六岳の巻き道ルートは花が多く、太陽の下で見たらどんなに輝いて見えた事だろう。霧にしっとりと濡れた花も良いのかもしれないが俺はやっぱり太陽の下で元気な花が好きだ。三俣蓮華岳への分岐点に来ると雲が少し取れて鷲羽岳の白い岩肌が見え出した。ここから三俣小屋は近いのでゆっくりと休憩することにした。「しかし、今日は良くここまで歩けたな!自分ながら頑張ったな!」と自画自賛していると数人の登山者が到着した。話を聞いてみると皆さん新穂高から来たと言うことだったので、さっきまでの得意げになっていた気分がしぼんでしまった。今日一日ガスっていたのでこの雲の切れ間に見える景色に誰もが歓声をあげていた。
それにしても俺以外の人は人間が出来ている。「この景色を見れただけで良かった」と随分しおらしい人達なのだ。俺はこれ位で満足なんかするわけはない。けれでOKサインなんかだせるかぁ!
話の話題は天気に変わった。下山して来た人の話では昨日は雨が降ったり止んだりの天気だったらしい。今日は曇り空だが明日は回復するみたいだと言う話に期待を持った。明日は晴れにしてみせる。晴れ男の名にかけて。。。

三俣小屋のテント場は広く、50は張れそうな所に30位のテント数だったので余裕でテントの設営をすることが出来た。テントを設営して周りをぐるりと見回してみる。雲の切れ間に見える鷲羽岳の大きさに胸が躍った。ここにテントを張るのは2度目である。一度目は数年前の夏に立山から縦走した時である。その時の記憶ではもっと木が多く、木々の間にテントを張ったように憶えていたが、今、こうして見てみると露地の所が多かった。あの時のことは今でも忘れない。。。

太郎平小屋を出た時には快晴だった空も黒部五郎岳を過ぎたあたりから曇り始め、三俣小屋に着く頃には雨に変わっていた。テントを設営して酒を飲んでいると何やら周りが騒がしいことに気がついた。台風が進路を変えてこちらに向っているといると言うことだった。夜になると雨、風が強くなった。テントは風に大揺れして今にも吹き飛ばされそうだ。雨が川となってテントの下を流れている。テントの底を触るとモコモコした気色悪い感触がした。たまに「撤収!」と叫ぶ声が雨音の間に聞こえて来た。雨や強風に耐えられなくなった人が暗闇の中でテントを撤収して三俣山荘に逃げ込んでいるのだった。。。

明日の天気を聞こうとラジオをつけたがノイズばかりが大きくてよく聞こえない。5時から小屋でテレビの天気予報をやると聞いたので見に行った。
ロビーのテレビの前は人でいっぱいだった。テレビから流れる「明日は晴れでしょう}の声にさっきまで思いつめた顔は皆一変して笑顔に変わった。

朝4時にテントの中から空を見上げると星が輝いていた。「やった!今日は晴れだ」
今日の予定はテントをここに設置したまま 鷲羽岳−岩苔乗越−水晶岳−岩苔乗越−祖父岳−雲ノ平−三俣山荘 と戻って来ることに変更した。
4時半になるとライト無しでも歩ける位に明るくなったので出発した。空は雲が多いが所々に明るくなった空が見えている。
鷲羽岳に登る途中でガスに覆われて周り一面、モノクロームの世界に変わった。風も強く合羽の上着を羽織った。山頂についても何も見えない。寒いので休憩無しで水晶岳に向った。
ワリモ岳に来た辺りからとうとう雨が降ってきた。慌ててザックカバーをして合羽のズボンをはいた。「天気はこの後回復するのだろうか?」フードの淵を水滴が左から右へとひっきりなしに飛んで行くのを見ていると不安な気持ちが頭を過ぎる。
岩苔乗越への分岐点まで来ても雨は止む気配は無い。「引き返そう!」こういう所が僕の意気地がないと言うか、淡白と言うか、さばさばした性格なのである。雨の中やガスの中を歩くのは嫌いである。よほど時間に制約があるなどの理由が無い限り、直ぐに山登り中止にしてしまう。そういえば那須岳に登ろうとして黒磯駅で電車を下りたのだが山を見ると曇っていたので回れ右して上りの列車に乗って帰ったこともあった。
もしかしたらこの後、晴れてくるかもしれないのだが水晶岳に行くまでに回復するとは思えなかった。水晶岳は日本百名山の一つなのだがまだ登ったことは無い。どうせ登るのだったら青空の下で登りたい。燦々と輝く太陽の光の下で初対面したい。登ったけど何も見えないなんてことにはなりたくなかった。
岩苔乗越から黒部源流の沢沿いに下って三俣山荘のテント場に戻った。

テントに逃げ込むと合羽を脱ぎ捨てて早速、ウイスキーを体内に流し込んだ。
なんと締まらない山行だろう。天気は良くなるのか悪くなるのかハッキリした動きは感じられず、テントを叩く雨音が絶望的な気持ちを誘い、このまま永遠に太陽が姿を見せることは無いのではないかというどうにも抗しがたい敗北感をうえつけるのだ。
シュラフに包まっているといつの間にか眠ってしまった。時々、目を覚ますとテントを叩く雨音だけがぼんやりとした意識の中で鳴っていた。
午後になるとやることが全くなくて暇をもてあそばした。ラジオはノイズが多く聞いていられないし、それに軽量化のために本を持って来ていなかった。雨が止むとテント場を歩き回ったり、小屋の本を読ませてもらったりして時間をつぶした。
5時になったので小屋にテレビの天気予報を見に行った。「明日は曇り時々雨でしょう」と言う声がテレビを見つめる人々に裁判官の判決の様に響き渡り、ため息だけが後に残った。

翌朝、雨で重くなったテントを撤収して新穂高に向けて歩き出した。その日も晴れ男を迎えたのはやっぱり風とモノクロームの世界だった。

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