乗るか?乗せるか?

僕は単独で山に行くことがほとんどだ。タクシーなんてもったいなくて乗れないので山へのアプローチは電車+バス+足となる。
そのせいで山登りを始めた頃はアプローチが悪く、登山口まで林道を延々と歩かなければならない山には自然と足が向かなかった。でも最近はそんな山ばかりが未登峰として残ってきたのでガンバッテ行くようにしている。
地図を広げて見て、バス停から登山口までの距離が長いとさすがにうんざりする。そんな時、いつも自分に言い聞かせる「長い距離を歩くことになるが決して他人の好意を期待するなよ!」。
例えば「駅前からタクシーで相乗りできるかもしれない」「林道を歩いている時、車で来ている他の登山者が親切に乗せてくれるかもしれない」などと期待してはいけないのだ。そんな期待など無残に打ち砕かれてしまうのに決まっている。
一番いけないのは甘い期待を抱いて炎天下のアスファルトを歩いている時に傍らを登山者を乗せたタクシーや車が追い越して行くとこれはもう逆恨みしてしまうしかない。エアコンで冷房された車内でビールなどを飲んでいる人を見たりすると「この薄情者!チクショウ、一生怨んでやる。孫の代までたたってやる!!!」とギリギリと歯ぎしりして悔しがってしまう。
だから「最初から歩いて当然。万が一、車に拾われたらたまたま運が良かった」と思うようにしている。

それでも過去の山行で車に乗せてもらったことは何度とある。僕を車に乗せてくれた方に感謝の気持ちで思い返してみます。



金峰山 (5月3日)

ここの山小屋のおやじは口は悪いが性格は悪くなかった。
「今日はどっちに行くんだ!」とおやじさんに声を掛けられた。「御室小屋を通って峰越林道に出て塩平まで行きます」と答えたら「その登山道はまだ沢山の雪が残っている。この冬にその道を降りた奴はいないから雪に踏み跡が無い。用心して降れよ」と言ってくれた。この言葉に元気づけられたが、反面不安がモクモクと湧き上がって心配になった。いざ登山道を歩いてみると道は雪に完全に埋まっていたが赤テープの目印がしっかりと有るし、道だと思われる所は木が生えていないので道が分からないことはなかった。
それより困ったのは雪の表面は硬いが中は柔らかいので、2,3歩あるいてはズボッと片足が股下まで埋もれてしまうことだった。脱出しようと残りの足で登ろうとするとその足も埋もれてしまう。雪はくさっているのでラッセルも出来ない。これを繰り返しながら歩いたので汗だくだくになってしまった。いつ足の下の雪が抜け落ちて足が埋もれてしまうか分からないので歩行中は緊張して疲れた。
泣き面に蜂で雨も降り出した。この時使っていた合羽は透湿性なんか全然ない安物だったので体は汗でグショグショになってしまった。さらに1時間も歩いていると合羽の縫い目から雨水が浸透してきて縫い目に沿って服がだんだん濡れてきた。
峰越林道に出て一時間程歩いていると大弛峠方面から来た車が僕の横で止まった。「どこまで行かれますか?良かったら乗りませんか?」と声をかけられた。「わぁ、なんてラッキーなんだ!」乗ろうとして後部座席を覗き込んだ。しかしその車内は僕にはあまりにもきれいすぎた。車は新車でピカピカ。後部座席にはムートンが敷き詰められている。それにひきかえ僕は合羽の中までしっかり濡れている。このまま乗り込んだのでは座席を汚してしまうのは明らかだ。もう少し頑張って歩けば塩平のバス停につくはずだし、ここは残念だが泣く泣く断ってしまった。
そこから約2時間半、雨の中をトボトボ歩いていると先のほうにバスが止まっているのが見えた。
とうとう塩平に着いたのだ。やっと合羽を脱ぎ捨てることが出来る。ほっとした気持ちでバスに近づいて行った。そうしたらあと30m位に近づいた時、なんとバスは無残にも発車してしまった。慌てて駆け寄るがもう遅い。バス停で時刻表を見てみると次のバスはなんと3時間も後だった。「あーぁ、なんてことだ!」仕方なく待つことにする。がしかし雨宿りする場所も周りには見当たらない。雨の中に5分も立っていたら汗と雨に濡れた体はズーンと冷えてきた。寒くてたまらずに歩き出した。牧平まで行けばバスがあるかもしれない。「あぁ!さっきの車に乗せてもらうんだった」と後悔しても後の祭り。しかし牧平についてもバスは無かった。結局このまま歩きつづけ窪平でようやくバスに乗ることが出来た。とても疲れた。

鳳凰三山 (8月30日)

夜叉神峠から登り、苺平を経て鳳凰小屋に宿泊。下山コースは決めていなかった。同じ道を戻るのもつまらないので御座石鉱泉へ下山することにした。うまく行けば鉱泉からタクシーの相乗りで韮崎駅まで行けるかもしれないと甘い期待を抱いていた。
鉱泉に到着してみると思ったよりも人は少なくてタクシーの姿は見当たらない。仕方なく韮崎駅に向かって歩き出した。
ここで不安に思っている事が有った。韮崎駅までの道がはっきり分からないのだ。持っているのは山岳
地図なので韮崎駅までの道のりは載っていない。方向さえ間違えなければそのうち着くだろうとコンパスで方向を確認した。しかしどれくらいの距離が有るのか分からない。広域地図を見ると少なくとも10kmはありそうである。時速5kmで歩いたとして2時間の道のりである。2時間位の歩行はたいしたことはないとたかをくくっていた。山道ではなく平地である。鼻歌交じりに歩いていれば韮崎駅に着いてしまうと思っていた。しかしその考えは甘かった。歩き出して10分もすると汗が滴り落ちてきた。夏のジリジリとした日差しは頭上から情け容赦なく照らしてくる。カラカラに乾いた地面は足を踏み出すたびに褐色の砂埃を舞い上げた。これがあと2時間も続くとは地獄だ。
30分ほど歩いていると後ろから来た車が僕の横で徐行して「良かったら乗りませんか?」と声をかけてくれた。地獄に仏とはこのことだ。地獄から天国へと通じる車の後部ドアを開けてみる。目の前の車内はあまりにも奇麗でゴミ一つ落ちてはいない。前に乗っている夫婦を見ると車内スリッパに履き替えている。僕の泥靴で乗ったのでは汚してしまうのは明らかだ。モジモジしていると僕の気持ちを察してくれたのか「気にしないで乗って下さい!」といわれたので遠慮なく乗ってしまった。せめて靴を脱ごうかと思ったが脱いだ瞬間に二日間の汗が染み込んだ靴下の悪臭が車内に充満してしまうことを考えるとそれも出来なかった。後部座席には先客がいた。マルチーズが予期せぬ客に興奮して僕の足元や膝の上をチョコマカと動き回った。「犬がうるさくしてごめんなさい」と言われたが僕は犬が大好きなので気にならないどころかこいつと遊んでしまった。
話をしてみると茅野市に在住の夫婦で今日は川に涼みに来たということだった。方向は違うのにわざわざ韮崎駅まで送ってくれた。お礼を言って車を降りる時、汚れた床がやっぱり気になった。

四阿山 (11月2日)

鳥居峠に下山して菅平口のバス停まで歩き始めた。歩き出して30分程するとあたりはだんだんと暗くなり始め、何となく不安になる。その時、僕の横に車が止まって「どこまで行くんですか?良かったら乗りませんか?」と声をかけられた。僕を乗せてくれたのは初老の男性とその娘さん二人であった。
ドライブインで食事をして車に戻ると鳥居峠付近で見かけた男性(僕)がまだ歩いているのを見て声をかけたということだった。運転していた下の娘さんははつらつとした人だった。昔、欽ドコに出ていた中原理恵さんかサザエさんを彷彿させる人だ。
「よくここまで歩きましたね」「30分程ほど歩きました」「でも馬鹿ですねぇー」「???」「これだけの数の車が通っているんだから適当な車を止めて乗せてもらえば良いのに。。。」「長野の人で乗せてくれ!って言って嫌な顔する人なんかいませんよ!」
「いい?次に長野に来た時には遠慮せずにドンドン車を止めて乗っちゃいなさい。いい!」
と幼稚園児が先生に叱られるようにしっかり念を押されてしまった。しかし初対面の人間にいきなり馬鹿とは何だ!すこしむっとしてしまった。
「長野に来て悪い印象を持たれちゃ嫌だから近くのバス停までじゃなくて新幹線の駅まで送りましょう。そのかわりまた長野に来て下さいねぇ」「それからこれオヤキ(どういう字が分からない)というんだけど長野名物なんです。食べてみて下さい」と袋から温かい饅頭を取り出し僕にくれた。少しおせっかいで勝気だけど良い人だった。それからお父さんと上の姉さんは口数は少ないが(と言うより下の娘がしゃべり続けているので口を挟むことができない)いつもニコニコして日本むかし話に出てきそうな優しそうな人だった。
もらったオヤキも温かくてうまかった。和やかな雰囲気のまま上田駅に着いた。
駅前のロータリーに車は進入して駅の正面辺りに止まろうとした。そうしたらゴツンと鈍い音がして止まった。車を降りてみると縁石にぶつかりバンパーがボッコリとへこんでいた。とたんに娘さんたちが蜂の巣をつついたように大騒ぎになった。僕としてもせっかく送ってもらった結果がこれでは大変申し訳ない。
あたふたとしている僕にお父さんが「娘はそそっかしくて困る。電車の時間もあるし、どうぞ気にせずに行って下さい」とニコニコ顔で言った。その優しい笑顔に少し救われた気分になった。
新幹線の座席に座ると車窓の景色が動き出した。いつもは今登ってきたばかりの山のことを回想してしまうのだけれどこの日の僕は。。。

愛鷹山 (9月6日)

残暑が厳しく越前岳に到着すると汗びっしょりとなった。天気は晴れだが展望はガスで一面白一色で何も見えない。自衛隊の演習の音が遠く「ドーン、ドーン」と雷みたいに鳴り響いている。
呼子岳は想像していたよりも険しく、愛鷹山を経て林道に着いた時にはシャツが汗でヨレヨレになっていた。
バス停までの道を歩き始めてすぐに通りかかった軽トラックの男性に乗せてもらった。
「あのー、山登りして来た人を乗せるの始めてなんです。。。」とこの男性が照れくさそうに話し始めた。
話を聞いてみるとこの男性は近くで農業を営んでいて、この道を車で毎日のように通っているらしい。たまに登山者が歩いているのを見かけても今まで車に乗せてあげる事は無かった。それというのも。。。「登山者はわざわざつらい思いをして山に登っているくらいだから歩くのが好きに違いない。車に乗せてその楽しみを奪うことなんて出来ない」と思っていたらしい。
ところが今日、歩いている僕を見かけたのだがあまりにも疲れているような感じなので一応声をかけたということだった。この話を聞いて最初に思ったのは「オイオイ、他の登山者に比べて僕ってかなりヨタヨタしてたのか?だとしたらかなり情けない」
僕はこの男性に「登山者への誤解、錯覚、かいかぶり」を説くべく説明した。
「登山者は山の頂上に立った時点で目的の全てもしくは大半を達成している。下山道も楽しいがそれも登山口までである。登山口のアスファルトに降り立った瞬間に山の匂いは消え、今まで自然の中に身をゆだねていた心は街の空気に触れ無表情になる。こうなるともう歩きたくない、少しでも楽をしたいという思いしかない」説明を聞いた男性は「そうなんだ!今度からはどんどん乗せてあげよう!」と笑っていた。
柳沢に着くと男性が申し訳なさそうに「自分の家はここを右に曲がった方にあるんで悪いけどここま
で良いですか?」と言った。もちろんここまでで十分である。ここから鳥谷バス停までは歩いて20分位なので2時間分の歩きを楽できたのだ。
男性と別れて歩き出す。歩き出して10分ほどした時、後ろから来た車が僕の横で止まった。見ると先ほど車に乗せてくれた男性だった。いったいどうしたんだろうと話を聞いてみると家に帰って奥さんに登山者を車に乗せた話をしたらそれを聞いた奥さんが「なんで途中で降ろしたりするの!せめてバス停まで乗せてあげなきゃだめよ!」と怒られたと苦笑いしていた。

乾徳山 (2月18日)

塩山からのバスは乾徳山登山口の徳和に到着した。
山登りの前に帰りのバスの時刻を確認しておこうと思った。バスの本数は多くはないだろうから乗り遅れたら大変だ。時刻表を見る。目が点になる。何と一日一往復しかない。つまり自分が乗って来たバスがもうすぐ発車すると後のバスは無いのである。(11月から4月まではバスの本数が少ない)
登山前に憂鬱な気分になる。がしかし「乾徳山の山登りを楽しもう」と出発した。人がいない割には景色が良いし、岩場も少しあり変化に富んだ山登りを満喫して再びバス停に戻って来た。
バスは無いので「仕方ない歩こう。馬込まで歩けば西沢渓谷からのバスもあるだろう」とアスファルトの道を歩き始めた。
10分ほど歩いた時、後ろから来た車に乗せてもらった。乗せてくれたのは40歳くらいの女性で小学生の女の子とお婆さんが一緒だった。話をすると徳和の人で足の悪いお婆さんを病院まで連れて行くところだということだった。乾徳山は二十年くらい前は多くの登山者が訪れる山だったそうだ。今では登山者がめっきり少なくなり村の民宿やお土産屋も活気が無くなった。バスの本数もそれに伴って減ってしまったということだった。「良い山なんでまた来て下さいねぇ」という言葉もどこかさみしげに聞こえた。
車は市街地に入り、駅の近くまで来た。「先に病院に寄ってお婆さんを降ろしますが良いですか?」と聞かれた。もちろん悪いわけはない。それに病院は駅への道沿いに有り、寄り道になることも無かったのであまりの心遣いに僕の方が心苦しかった。
病院前でお婆さんと女の子が車を降りた。お婆さんが車を降りる時に「また来て下さいねぇ」と言った。その消えそうな声におもわず涙腺が緩んでしまうのだった。

巻磯山 (8月1日)

東京を出た夜行バスは予定より一時間も早い午前2時半に六日町に着いた。
高速道路のバス停で降りた人は5,6人だった。皆、迎えに来た車に乗り込んで次々と家路へと向かって行った。後には真っ暗な闇の中に僕だけがぽつんと取り残された。ここからJR六日町まで歩いて行き、早朝のバスで巻磯山に行く予定である。ところが困ったことに六日町までの道が分からない。バス停だけは灯かりが点いているが周りは真っ暗闇で街の明かりさえ見えない。ライトの灯かりで道を照らし歩く。
コンパスで方向を確かめたが表示板も見当たらず、はたしてこの道で良いのか不安ある。しばらく行くとコンビニの灯かりがぽつんと見えた。安堵の気持ちで店に飛び込み店員に道を尋ねる。どうやら道は合っていたようだ。駅までの道を教えてもらい再び歩き出した。外灯も無くて暗い道だ。たまに明かりが見え、近づいてみると自動販売機が「ブーン」とかすかな音を出して人気の無い道にぽつんと照らしている。
しばらく歩いていると後ろからカーステレオをガンガン鳴らしながら車が走ってきた。そして僕の横で止まった。「どこまで行くの?良かったら乗せて行くよ!」と声をかけられた。見るとどう見ても田舎のあんちゃん中年不良風にしか見えない男性だった。乗るかどうか迷った。夜中の3時にカーステレオをガンガンに鳴らしたむかしツッパリ風の男性に車に乗れと言われても困るのである。しかし男性の勢いにのまれて断れずに乗ってしまった。
カーステレオから流れる曲はラッツ&スターの”め組の人”に変わった。ボリュームを下げてくれたので鼓膜はどうにか破れずにすんだ。男性がなんでこんな夜中に歩いているかと聞いてきたので山に登るためだということを説明した。逆に僕の方から男性にこんな夜中になんで車を運転しているのか聞きたいのだが答えが恐くて聞けない。
良くしゃべる男性で機関銃のように次から次へと質問を連発してきた。気がついたら六日町駅に着いていた。
僕を降ろすと車は明かりの消えた駅前の繁華街を戻っていった。カーステレオの音だけがいつまでも遠く聞こえていた。

安達太良山 (7月27日)

安達太良山から箕輪山を通って一ノ橋から猪苗代へ向かう。その日は猪苗代に泊まって明日は磐梯山に登る予定だ。国道115線を歩く。夏のギラギラと日差しを受けて暑い。全身から汗がジトーッと出てくる。
歩いていたら僕の横に車が徐行して並んだ。「どこまで行くの?」と聞かれた。しめた!車に乗せてもらえそうだ。「猪苗代まで行くんですが。。。」と言うと車を運転していた男性が「大変ですね!がんばって下さい」と言い残してそのまま車は走り去った。
一体なんだったのか?最初は乗せるつもりだったのが。。。
1.僕の人相が悪い
2.行き先が違う
3.ただの冷やかし  。。。のどれか?だろう。

魚沼駒ヶ岳 (7月20日)

(山行記録を見て下さい。)



その他、登山中に知り合って帰りに車に乗せていただいた方など本当に感謝します。

カヌー親分の野田知佑氏のエッセイを読んでいたら「車に乗せてもらったらお礼には面白い話をして相手の気分を乗せてあげよう。」と書いてあった。僕の場合、人見知りする性格のため上手く話が出来ないことが多い。
まして登山者以外の人だと話題に困ってしまうのだ。
この次は車に乗せてもらうばかりでなく相手を(話に)乗せてあげれますように。。。

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