砂時計みたいな恋 (山との出合い)

いつ頃から山登りを始めたのだろう?
そういえば山登りを始める前の趣味といえばオートバイと旅行。でもオートバイに関してはメカ狂、スピード狂というわけではなく旅行のための単なる足でしかなかったので趣味と言えるのは旅行ということになる。
ある年の夏、連休は一人で北海道にバイクツーリングに行くことにした。前年の夏に北海道にバイクツーリングに行った先輩がいて「北海道はいいぞぉ」という話をさんざん聞かされていたので僕も行ってみる気になったのだった。北海道のどこまでも続く道をバイクでひた走る。景色が良い所が有ればバイクを止めてしばし休憩。幸運にも天候に恵まれ、8日間はほとんど晴れだったので快適なツーリングが出来た。噂どおり、北海道の自然は素晴らしかった。特に記憶に残っている風景といえば釧路湿原での夕焼け。立ちこめた霧を夕日が照らし辺り一面赤く染めていた。その幻想的な中を小川がくねくねと蛇行しながら地平線まで続いていた。野付半島では立ち枯れの木々の悲しげな景色の中を歩いた。その他、数々の素晴らしい景色と出会う度に「うおおおっ!」と感動の雄叫びをあげるのだった。
それから景色以外の発見はバイクや自転車でツーリングしている人の中でキャンプをしながら北海道を周っている人が意外と多いということだった。公園やキャンプ場にテントが張ってあるのを見るとうらやましく思った。この広大な大地の上に横たわると地球と一体感となりより一層自然に溶け込むことが出来るのではないだろうか。僕はテントは持って行かなかったが寝袋は持って行った。キャンパーに触発されて駅の待合室に泊まったりして野宿気分を少しだけ味わった。
初めての経験だったがホテルや旅館に泊まるのとは違ってふかふかの布団も温泉もテレビも無いことがやけにワイルドで青春真っ只中といったような感じでワクワクしたのだった。北海道ツーリングはそれまでに旅行した京都、信州、鎌倉、伊豆などのいわゆる観光地とは違って旅行後の充実感がなんだか体全体にしみわたるような感じだった。「人間の作った物なんてしょせん自然にはかなわない。俺は自然が好きだぁー」と青春学園ドラマ風の青臭い感想を抱くようになっていた。

次の年のゴールデンウイーク。昨年行った北海道の感動が忘れられず、どこか自然を体験できる所に行きたいと思っていた。自然といえば単純に山もしくは海と連想される。五月の海はまだ冷たく泳ぐのには早い。そうなると残りは山である。同僚に山登りをしている奴がいるので行き先をアドバイスしてもらうと「フムフム?初心者は丹沢か奥多摩が良いのでは」という返答だった。僕は「そうか。そうか」と本屋に行ってガイドブックを買った。
ガイドブックを読んでみると丹沢には「山小屋」が有るではないか!「山小屋」とはなんとワイルドな響きだろう。思うに小屋のおやじが獲ってきたイノシシや兎の肉を囲炉裏で焼いて食べさせてくれるのだろう。これはもう丹沢に行くしかない。この熱い期待に胸を躍らせて山小屋に一泊の予定で丹沢にいった。期待外れで夕食はイノシシの丸焼きでは無くカレーライスであったが電気の無いランプの灯かりが点る小屋の雰囲気に十分満足したのだった。
中学、高校の時、校内マラソン大会なる行事が有った。たしか中学は5km、高校は10kmだったと思う。マラソンはキツイのですごく嫌である。どうにかして走ることを避けたいと思う。仮病でズル休みしたいと何回考えたことか。そんな嫌なマラソンも完走してみると意外と充実した気持ちになる。丹沢の山登りはちょうどマラソン後の気持ちに様だった。正直に言ってしまえば山の景色はいまいちで感動は薄かった。ただ頂上に立ったという達成感は心に深く浸透していた。

その年の夏休暇も近づいた頃、さて連休はどこに行こうか思案していた。休み時間に同僚が見ていたパンフレットを何気なくのぞいて見た。そこには青空の下、吊り橋と雪を抱いた山が写っていた。すごく良い景色だった。こんなに良い風景は日本ではなく北アメリカやヨーロッパに違いない。しかしパンフを良く見ると「上高地」と書いてある。ということはまさか日本?。日本にもこんなに良い景色の場所があるのか!。同僚に尋ねてみると北アルプスの上高地だということだった。これはもう行くしかない。夏休暇は上高地に行くしかない。
それにしても北アルプスとはどこだろう?なんだ飛騨山脈のことではないか。そうすると岐阜、長野ということだ。場所もそう遠くなさそうだ。さっそくガイドブックを購入。旅行が趣味だった僕は情報を得るためにまずガイドブックを買うのだった。ガイドブックを見ると上高地に一泊すれば十分に周辺の散策出来そうだった。夜行バスを利用すれば日帰りも可能だということが分かった。しかし連休に日帰りでは物足りない。なにげなく地図を見ていたら近くに穂高岳、槍ヶ岳という山があるのに気が付いた。なんとなく聞いたことがある名前だ。「そうだ!せっかく行くのだからついでにこの二つの山も登ってしまおう。3ヶ月前に丹沢に登ったので山登りは自信がある」。というわけで上高地の散策+穂高岳、槍ヶ岳の登山というデラックスプランを決行した。
上高地は素晴らしく景色が良かった。梓川の澄んだ水の流れや河童橋からの穂高岳の眺めはパンフ以上に素晴らしかった。さて山登りの方はといえば丹沢とは全く違う岩場、ガレ場の登山道にびびってしまって景色を眺める余裕は余り無かった気がする。頂上に立つと絶景に感動はするがそこから続く稜線の険しさに嫌気がさした。

北アルプスに行っても山登りは旅行の延長であり、それほど本気では取り組む事はなかった。趣味のメインはやっぱり旅行であり山登りをするのは五月連休と夏季連休の年2回だけというペースだった。ただ山登りした後の達成感や心地よい疲労感が何となくではあるが「中々良いもんだ」と思い始めていた。
年2回の山登りが数年間続いたがそのうちだんだんと土日を利用して奥多摩など近郊の日帰り登山も行くようになった。最初は「山なんてみんな同じさぁ。そんなに変わらないだろう」と思っていたが行った山それぞれが個性的であり、ひとつの山を体験するとまた別の山に行きたくなった。
気がつけばいつの間にか毎月一回の山登りに行くようになっていた。そう言えば山登りに全く興味が無かった頃、駅で登山の服装をしている人を見かけると「あの人たちは荷物を担いで何でわざわざ自分からあんな疲れる事(登山)をするのだろう。馬鹿だよな」。服装もカッコ悪かった。チェックのシャツにグレーのニッカポッカ、ソックスを膝まで捲り上げ、靴は強固なドカ靴。「まったくダサイ奴らだ」と冷笑していた。それが今では知らず知らずのうちに馬鹿の仲間入りをしてしまっていた。

思い返してみると山登りを始めた頃はガムシャラに登っていた感じがする。山頂で眺めを楽しみ、登頂の達成感を味わう。登山道の脇に咲く花に目を向けたり、木々に緑を楽しむ事は無かった。山の表情の変化にも気がつかなかった。それが山に行く回数が増えるに連れてだんだんと周りの景色も目に入るようになってきた。そのせいでより細かく深く山を見ることが出来るようになり、ますます好きになっていく。
他の人はどうなんだろう?初めて行った山でその景色に感動し、その途端に山が好きになったりするのだろうか?テント場で幕営したら山登りの面白さにとりつかれ、幕営がやみつきになったりするのだろうか?僕の場合、山への思いは、一つの山を登るたびに段々と培われていった。
けっして一目惚れという訳ではなく砂時計の砂のように時間の経過とともに少しずつ増えていく恋なのだ。

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