和名倉山 (白石山)

行程 (着/発)(+++:電車、===:バス、---:徒歩)

◆5月3日
立川(5:29) +++ 奥多摩(6:44/6:55) === 鴨沢西(7:35/7:45) --- 丹波(9:20/9:40) --- サオラ峠(11:30/11:40) --- 熊倉山(12:25/12:35)--- 前飛竜(13:40/13:50) --- 将監小屋(テント泊)(16:40)

◆5月4日
将監小屋(4:30) --- 山ノ神土(5:00) --- 東仙波(6:15/6:25) --- 和名倉山(7:45/7:55) --- 十字路(?)--- 北のコル(8:20/8:25) --- 十字路(8:50/9:00) --- 東仙波(10:00/10:10) --- 山ノ神土(11:05) --- 将監小屋(11:25/12:15) --- 飛竜山(14:15/14:25) --- 狼平(16:00/16:05) --- 三条ダルミ(16:35/16:45) --- 雲取避難小屋(17:15/17:30) --- 雲取山(17:32/17:40) --- 雲取山荘(テント泊)(18:00)

◆5月5日
雲取山荘(4:50) --- 雲取山(5:20/5:30) --- 七ツ石山(6:40/6:45) --- 日陰名栗峰(8:10/8:20) --- 鷹ノ巣避難小屋(8:35/9:15) --- 鷹ノ巣山(9:40) --- 六ツ石山(11:10)---奥多摩 (13:20/13:25) +++ 青梅(14:06/14:09) +++ 立川(14:40)

山日記

「作戦だぁ!」
ゴールデンウイークの3連休は和名倉山に行くのだ。昨年、道が分からずに見事に敗退しているので今回はその雪辱戦である。(和名倉山に敗退する)
情けないが秩父湖からの登山ルートはルートファインティング技術が乏しい僕には難しいことが分かった。知力が駄目なら後は体力勝負しかない。地図を広げて作戦を考える。歩行距離は長くなるが道が分かり易い奥多摩側から行くことにした。一之瀬までタクシーで入れば近くなるのだけれどしかし頑張ってバスの終点の丹波から登ることにする。名づけて”80歳になるまでタクシーには乗らんけんね!”作戦だ。

早朝3時半に自宅を出る。奥多摩発、丹波行きの始発バスに乗るためには武蔵中原発、立川行きの始発電車に乗らないと間に合わないので自宅から1時間かけて武蔵中原駅まで歩くことにした。朝から歩くのは辛いけれどこれも和名倉山攻略の作戦のうちなのだ。
中原駅で立川行きに乗り、立川で青梅線に乗り換え奥多摩駅に到着。改札を出てバス停に向かうと既にバスは待っていた。
しかしバス正面の行き先表示は鴨沢西となっている。なんだか嫌な予感がして時刻表を見ると「何てことだ!僕が調べたのは平日の時刻だ!!!」
平日は6:55発が丹波まで行くのだけれど休日は鴨沢西までだった。これにはかなりへこんだ。自宅から駅までに1時間歩いたのは何だったんだ!なんだか和名倉山が遠くなったように感じてしまうのだった。

「作戦だぁ!」
こんな所でへこんでいてもしょうがない。作戦を立て直すんだ。時刻表を見ると丹波行きの始発は8:30だった。そのバスをここでじっと待つことはせっかちな僕には考えられない。第一、それでは自宅から駅まで歩いたことが完全に無駄になるではないか!地図を見ると将監峠へは鴨沢西から2つ先の親川バス停から天平尾根を登る登山道が有ることが分かった。よし決まった!名づけて”少し長げぇーが天平尾根”作戦だ。
意気揚揚と既に満員となっているバスに乗り込んだ。
バスは山道を登って行く。乗客はほとんど鴨沢で降りてしまい終点の鴨沢西で降りたのは僕一人だけだった。

でかザックを背負い車道を歩き出す。5月にしてはえらく暑く少し歩いただけで額から汗が吹き出る。
歩き出して30分ほどで親川のバス停が見えた。しかしバス停のそばには民家が一軒あるだけで登山道らしきものは見つからない。しばらくウロウロと探し回るがどこにも登山道の入り口は見つからない。
「もうこうなったら作戦だぁ!」こんな所でウロウロしていても時間が立つばかりだ。次の作戦を考えよう。仕方ない、このまま丹波まで車道を歩いていこう。名づけて”登山口と霊界はやっぱり丹波で決まり”作戦だ。
作戦が決まったので直ぐに行動開始。車道を再び歩き出した。しかし道は緩やかに登りになっていて予想以上に大変だった。全身汗でグショグショになる。そんな僕の横を車やバイクが猛スピードで追い越して行くのででかいザックを背負って歩いている自分がなんだかとても惨めに思える。「和名倉山に登れるんだろうか?和名倉山はなんて遠いんだろー!」と気持ちが段々と元気が無くなって行く。
道が降りになり、行く先に丹波の集落が見えた時には「やっと着いたよ!」と言う思いでいっぱいになった。それにしても和名倉山を目指しているのだがその登山口の丹波に着いただけで安堵しているようじゃ先が思いやられる。

地図を見ると登山道は丹波のバス亭の直ぐ先になっているが中々見つからなかった。ここでもウロウロを繰り返した。またかよー!と嘆いているとバス停の10m程先の建物の上の方にようやく標示板を見つけた。
近くを見ると太いパイプから水がドカドカと噴出していたのでそこで顔を洗い、水をシコタマ飲んだ。


牛王院平から日の出を見る 今日一日良い日でありますように!
「これで疲れも回復したはずだ!」といよいよ登山道を歩き出そうとしてザックを背負うと予想以上に疲れていることに気が付いた。考えたらここに到達するまでに20kgのザックを背負って自宅から1時間、鴨沢西から1時間半の計2時間半も歩いているのだ。こんなに疲れていて本当に和名倉山に登れるのだろうか!「今からこんなことでどうする。元気があれば何でも出来る。元気があれば和名倉山にも登れる!」と気合を入れ直して歩き出そうとした時、目の前に奥多摩発8:30のバスが到着した。「僕がここまで歩いたのは結局無駄???、僕って馬鹿?、馬鹿はいやだー!」これにはメチャメチャへこんでしまった。
畑の中の道を登っていくと金網の柵があったのでこれを「こんにちはー!」「お邪魔しましたー!」と開け閉めして3つの扉を通過した。なんでこんな柵があるのだろうか?
檜の植林帯を登って行くと30分ほどで稜線に飛び出したので早くも休憩する。ザックを開け、袋からオニギリを取り出そうとした時、地面に乾燥ワカメの袋をぶちまけてしまった。このワカメは山でラーメンを食べることをこよなく愛する自称”山ラー”の僕がめでたく和名倉山に登頂した際のお祝いラーメンに入れるつもりで持って来た物なのでこれは僕を益々へこました。
シオシオになってサオラ峠への道を登る。地図を見るとこの道は等高線の間隔が狭くて急登みたいな感じであるが実際の道はジグザグに折れ曲がって登っているのでそれ程でもなく、正直に言って助かったぁ!のであった。
新緑の木々の間から一際高い山が見えた。地図を出して山を確認すると大菩薩嶺であった。塩山から登ると余り山の高さを感じないけど、ここから見ると奥多摩の山並みから頭一つ飛び出しているので「やっぱ、高けぇー山なんだ!」と感心してしまった。

焼小屋頭は展望が良い。テントが一つあった。雲取山や甲武信岳を眺めながらの幕営は最高だろうな。
サオラ峠から熊倉山までの登山道はなだらかで周りの木々も美しく森の中を歩いている様な感じである。普通だったら”よかよか視線”で眺めるのだけど自分でも情けないくらいにバテてしまっていて周りの景色が目に入らない。「俺ってサイコー!これぐれー大したことないぜ!俺なら出来る!」と自分をおだてて元気を出す。こうやってこれまで何度、自己暗示の世界をかいくぐってきたのだろう。

山頂直前の草原。ここまで来れば山頂はすぐそこだ!明るい草原であるが平地は無く幕営には向かない。。。と思う
飛竜山までの道も大した登りでもないのにヘトヘトに疲れていたので飛竜山へは登らずに分岐点から将監峠に向った。この道はただただ水平な巻き道で疲れた体には優しい道だった。この道を開いた人に感謝したいくらいだ。ここまで来ると作戦もへったくれも無い。今日の休息地である将監小屋に向って交互に足を動かす作業を繰り返すだけだ。

将監小屋のテント場は草原になっていてフカフカで寝心地が良い優れテン場だった。水も小屋横のパイプからジャブジャブと流れ出ていた。テントを設営して中にもぐり込むと直ぐにウイスキーを取り出して今汲んだばかりの水で水割りを作って飲んだ。「うめぇー!」を連発。そしてその後は爆睡。

「作戦だぁ!」
今日はいよいよ和名倉山を攻略するのだ。テントはここに張ったまま、必要なものだけ持って和名倉山までピストンする計画だ。名づけて”男はやっぱりピストン!これっきゃないぜ”作戦だ。
テントの中で朝食を食べ、外が明るくなるのを待ってテントを飛び出した。牛王院平を歩いていると東の空が真っ赤になった。なんだか今日は良い日になりそうな予感がした。
山ノ神土の分岐点に「白石山山頂へのコースは未整備です。遭難事故が多発していますので入山者は十分ご注意下さい!」と立て札に脅し文句が書かれている。気持ちを引き締め和名倉山への道に突入した。

登山道は良く踏まれていたが熊笹が道に覆い隠している。少し歩いただけで朝露でびしょびしょに濡れたので慌ててレインウェアのズボンをはいた。笹原なので展望が良いのだけれど神経が登山道に集中しているので富士山を見るのもどこかうざなりになってしまっている。


これ休憩しているところではありません。和名倉山のてっぺんです。
とても残念なのはこの写真と違って実際のてっぺんははこんなに明るくなくてもっともっと静寂で重厚な雰囲気だったのだ
地図では(注:僕の地図は古いのでもしかしたら新しい地図とは表記が違っているかもしれません)仙波のタルから登山道は東仙波を巻いている。前方の笹原の中にそれらしい道も見えるのだが、そこへの道が分からない。結局、西仙波の尾根上の道を歩いて東仙波に到着。山頂で休んでいると後ろから二人の男性が登って来て追い越していった。

北のコル うっそうとした森を抜けるといきなり現われたのさ!あー気持ちん良か!
焼小屋頭は展望が良く甲武信岳やその向こうには雪の北アルプスも見える。雲取山は逆光でよく見えない。今回の山登りで楽しみにしていたことの一つは雲取山を見ることであった。雲取山は意外とその全貌が見えにくい。対峙している和名倉山からだったら見えるのではないかと思ったのだけど少しガッカリした。
この辺りは樹林がまた良い。白樺の木が連立していたりして明るい尾根道だ。テントが一張あった。そう言えばここまで来る間にすれ違った人が4人程居たが、いずれもデカザックであった。きっとどこか山頂までの間で幕営したのだろう。
それにしても少し変だ。地図では登山道は余り踏まれていなくて分かりづらいとされているが、そんなことは無く、いつの間にか十字路と言われている所に到着。なにもこんなに神経を尖らせ、難路という噂に脅迫されながら歩くことも無かった。笠置シズ子の曲だって今日はまだ一曲も歌っていない。
ここから和名倉山はもう少しだ。右に進むと広い草原に出た。おいおい!ここが奥秩父の秘境と言われている山か?と疑いたくなるような明るい場所だ。
いよいよ山頂にもう少しの所で、一変して密林に変貌した。陽が余り差し込まず、ジメッとしていて苔が倒木を覆っている。山頂への道と言っても平坦なので迷ったらどっちだか分からなくなりそうだ。しかし踏み跡がしっかりあるので助かった。

和名倉山山頂は苔むした密林の中にあった。和名倉山は天に向って突き上げるようなてっぺんではなく、原生林に覆われて大地にドッカとあぐらをかいた山だった。
「どんだ、文句あっか!」と決して人に媚を売って心を通じさせようとはしないが、それでいてどこか向こう側からこちらをじっと見つめている暖かさがあるてっぺんだった。


山頂から北のコルへ向う途中の原生林。薄暗くて陰湿でそれでいて。。。森そのまんま!
それにしても思っていたよりあっけなく着てしまった。何も気合を入れて作戦を立てることも無かったなー。
さっき東仙波で僕を追い越した人達が休んでいたので話をしてみると、この男性はこれで数回目の登頂と言うことだった。前は踏み跡があやふやだったが最近は百名山、二百名山のブームのせいかこの山まで訪れる人も増えて道もしっかりと踏まれて歩き易くなった。歩き易くなったせいで地図では3時間半のコースタイムも3時間位で来れるようになったということだった。ちなみにこの人たちは山ノ神土から2時間半で着いたらしい。

これはただの苔。和名倉山のただの苔である。まさに天然色!でした
十字路まで戻り、北のコルへ向う。もう少し原生林の森を散策したくなった。それに昨年、僕の進行を阻止した意地悪な登山道の片鱗を見てやれ!と気がしていた。

歩くにしたがってやはり踏み跡は薄くなってゆく。それに伴って森が段々森らしく、自然の姿を取り戻して行く。木が日光を遮断しているので薄暗く、地面という地面は落葉と緑の苔に覆い隠されうっそうとしている。だけどこんな山だこそ、木や森をこよなく愛する人にとってはたまらなく良い場所なんだな。

歩いているとぽっかりと視界が開けて草原に飛び出した。北のコルだ。
北のコルから秩父湖への道に足を踏み入れるとそこは朽ちた木が多くうっそうとした森が続いていた。このまま歩いて行けば昨年敗退した道へ難なく行けそうな感じがした。そう言えば先月のヤマケイでみなみらんぼう隊の和名倉山山行記を読んだがその中でもここから先、秩父湖までの道は分かりづらいと書いてあったのでやっぱりこりゃ、踏み込まない方が無難だなー。
将監峠への戻り道は気楽な気分になって歩いた。登って来る人約30人とすれ違った。やっぱり登山者は意外と多いんだ。中にはジーンズ姿の軽装な人も居る。奥秩父の秘境と言われたのも過去のことになったのだろうか?こんなに人が増えるとあの原生林の森も山頂もビブラムソールにズタズタに踏み荒らされてしまう日が来るのだろうか?

西仙波まで来れば山ノ神土まではもう少しだ。
和名倉山を振り返ると今にも春霞に消え入りそうである。口が重い和名倉山が「わざわざ来てくれて、あんがとうよ!」と言っているような気がした。


下山途中、ガスって何んも見えねー!と周りの人はぼやいていたけどそれもまた良いんだ!
将監峠から草原の登山道を降って行くとテント場に置き去りにして来た僕のテントが見えた。「戻ってきたぞー!」と凱旋の声を掛ける。
他にも人が居ないテントが5,6張りあった。きっと和名倉山に行っているのだろう。

早速、登頂達成記念に大願成就ラーメンを作る。ラーメンの中に入れるつもりで持ってきたワカメは僕のドジでぶちまけてしまって残ってない。
まぁー、しょうがねぇーか!とラーメンの袋を破り麺を取り出した。
えらいぞぉー!塩ラーメン。そこにはスープの他に切りゴマが付いていたのだった。

翡翠色の空の下、草原を風が流れている。。。そしてこのゴマの浮かんだ一杯のラーメンが今の僕へのご褒美だった!

参考

2003年5月の現時点では登山道は昔に比べて分かりやすくなったようで作戦は必要ありません。また木にしっかりと赤テープや白、青のナイロン紐が付けられていますのでこれを確認しながら歩けば大丈夫でしょう。どうしても道が分からなくなったら先に確認した赤テープの所まで引き返すことが大切です。
西仙波、東仙波は巻き道よりも尾根道の方がハッキリしている。東仙波山頂からほぼ直角に左に曲がりますが踏み跡はあやふやで分かり難い。
十字路から山頂へはほぼ直角に右に曲がります。まっすぐ方向にも秩父湖へのテープがあるので紛らわしく見落とさないように注意。
地図には十字路付近に水のマークが有りますが、場所は確認できませんでした。八百平は川又への分岐点になっていますが川又への道は確認できませんでした。
以上生意気ですが参考までに。

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