初めての丹沢、初めての北アルプス(1)

(注:これはもともと「砂時計みたいな恋」の一部だったのを二つに分けた文です。したがって内容が重複している箇所があります。)

北海道旅行で自然が好きになってしまった僕は五月連休に山登りをしてみようと思った。
山に登るのは中学の遠足以来である。登山が趣味の同僚に行き先をアドバイスしてもらうと「初心者は丹沢か奥多摩が良いのでは。。。」という返答だった。本屋に行って丹沢、奥多摩のガイドブックを見ると丹沢には山小屋があることが分かった。せっかくの連休なのでどうせなら日帰りではなく山小屋に一泊してみようと思った。これで目的地は丹沢に決まった。
こうなると次の行動は早い。まず山岳地図を購入。これは昭文社の地図でガイドブックも付いていた。この地図とガイドブックを見て、まず宿泊地を決める。山小屋は数軒あるが丹沢で標高の一番高い塔ノ岳の尊仏小屋に泊まることに決めた。次はそこに至るまでのコースと下山コースを決めれば良い。地図を見ると色々なコースが入り組んでいてどのコースが良いのか分からないので単純に稜線にそって登ることにする。ヤビツ峠から三ノ塔、烏尾山を経て塔ノ岳で一泊、丹沢山、焼山を経て道志に下山するコースだ。
次は装備だ。服は普段着ているもので間に合うだろうと思った。ジーンズ、ポロシャツ、コットンの長袖シャツ、防寒着にセーター、合羽はバイクに乗っていた時に使っていたもの。靴はズック。ザックはこれも普段使っている20L位のナップザックとウエストバック。水筒は持っていなかったので近くのスーパーで購入。これは子供の遠足用だ。それから地図があっても方角が分からないと何にもならないとシルバ・コンパスも買った。コンパスに付いていた説明書で方位の読み方の練習をしてみたが分かったような分からないような感じだ。まあ早い話が方向だけ分かれば良いだろうと思い、練習終わり。これで準備は万端整った。

秦野駅からバスに乗り、終点のヤビツ峠で降りる。バスを降りたのは十数名だったが塔ノ台に向かったのは僕一人だけだった。塔ノ台に登ってみると思ったほど展望は無くガッカリした。菩提峠まで降って林道を歩くと多くの登山者と合流した。なんだか自分だけが遠回りで損をした気分になった。
登り始めて5分もすると息があがって「ハアハア」と苦しくなり立ち止まる。心臓は「ドカンドカン」とその鼓動が腹まで響いている。「こりゃマズイ!」と思った。まだ歩き始めて5分しか経っていない。「登る速さが速すぎたようだ。焦るな、焦るな。ゆっくり」と自分に言い聞かせ歩き出す。空を見れば五月にしては太陽もやけに張り切ってギラギラと輝いている。山は平地と比べて気温が低いはずだがそれにしても熱い。熱すぎる。少しペースダウンして歩いても全身から汗がダラダラと噴き出してきた。おまけにジーンズが汗で足にベッタリとくっついて足が動かしづらくなってきた。山登りは予想よりかなり大変であることを額から落ちる汗が物語っている。
重くなった足を引きずるように登っていると登山道はザレ場に変わり、振り向くと遠く相模湾が薄っすらと光っているのが見えた。素晴らしい展望に気分が和らいでいく。水を口に含むと心臓の鼓動が段々落ち着いてきた。
全身クタクタになってようやく二ノ塔に到着。山頂では昼食中の人が多い。「飯だ、飯だ」疲れてはいるが腹は減っている。コンビニで買ったカレーライスをザックから取り出してみると容器の透明な蓋にカレーがグチャグチャにくっついていた。蓋を開けてみると福神漬もカレーの大波を食らったらしくバラバラに散乱していた。見た目は汚いが味は旨かった。
この山頂からは先ほど見えた相模湾がより広範囲まで見えた。市街地を見ると工場の屋根だろうか?鏡のようにキラキラと反射している。東の方を見れば大きな山が見えた。地図で確認してみるとそのまんま大山という名前の山だ。それにしてもここまで登るのは辛かったがやっぱり山登りは気持ち良い。来て良かったと思う。展望も十分見た、弁当も食べたし塔ノ岳を目指して再びノロノロと歩き出す。
ほんの少し行くと急な降りになる。目の前にこれから行こうとしている烏尾山、行者岳そしてその奥に目的の塔ノ岳のパノラマ図のように広がっていた。素晴らしい展望だがそれを楽しむ気持ちよりも「あんな所(塔ノ岳)まではたして歩けるのだろうか?」という気持ちが強かった。遥か遠くに少し霞んで山容を誇示している塔ノ岳は地図上の距離よりかなり遠くに思える。おまけにそこまでの稜線の起伏も大きい。ここまで登って来るだけでこの疲労度である。あそこまで果たして歩き通せるのか心配になった。
ここから先は予想していた以上にクタクタとボロ雑巾のように疲れ果て塔ノ岳に到着した。到着した頂上は展望が良く、今日はもうこれ以上歩かなくて良いのかと思う気持ちと相成って急に体は脱力感に襲われヘナヘナと座り込んでしまった。
疲れたせいなのか山小屋の受付で宿泊の申し込みをする時に口が思うように動かなかった。疲れていることを受付の人に悟られそうで恥ずかしかった。
「山小屋」という響きから僕が想像するのは映画などに出てくるマタギの住居だったが尊仏小屋は予想していたよりかなり立派だった。中に入ってみると部屋は大部屋であり薄暗かった。今まで繁忙期の民宿で相部屋になったことはあるが相部屋どころか全員が一つの部屋というのは初めてである。いや初めてではなく小学校のキャンプ以来である。(僕の小学校ではキャンプと称して学校の体育館に泊まった)部屋の奥のより暗い箇所では既に数人が布団に包まって寝ていた。僕も横になって休みたかったがどこに寝て良いのか分からず、仕方なく夕食の時間まで外に出て景色を眺めていた。
いよいよ楽しみにしていた夕食になった。僕の想像していた「山の食事」である兎の丸焼き、イノシシの焼肉、タヌキ汁、山菜御飯などでは無く普通のカレーライスだった。おまけにおかわり無しの一杯だけだったのでお腹の隙間が埋まらなかった。
いよいよ寝る時間になり小屋番さんが場所の割り当てを行った。ずらっと布団を敷き詰めた一角が僕の場所だったが一畳位の広さしかなかった。「こりゃ狭い!」と思っていると隣のおばさんが「今日は広いね!ゆっくり寝れそうだ」といっているのが聞こえてきた。一人の割り当てが一畳しかないのが広いと言うのか?なにをバカなことを言うおばさんだろう。
ところで寝る前にやりたいことがある。風呂だ。汗だくになったTシャツやパンツはまだ着たままだった。本当は小屋について直ぐに風呂に入りたかったのだけれど勝手が分からずにオドオドしていたら寝る時間になってしまった。自分の周りを見渡してみても風呂上りのような人は居ない。隣の男性に「風呂はどこですか?」と尋ねると「風呂なんか無いよ」と冷ややかな目で見られた。仕方ねーな!とガッカリする反面、この不自由さが嬉しくもある。日常生活では味わえない不便な状況が「今、僕はすごい所にいるんだ!僻地にいるんだ!」と思われてワクワクした気持ちになってくる。
とりあえずシャツとパンツを着替えて布団にもぐり込もうとしたら布団のジメッとした湿気が気になった。パジャマなんか持って来ていないし、かといってこのまま下着のまま布団に入るのは気色悪かった。周りを観察してみるとニッカポッカのまま布団に入っていたので僕もジーンズをはいて布団に入った。汗と泥で汚れたジーンズで布団に入るのは小屋の人に悪い気がしたがこうなったら「どうにでもなれ!」とひらき直って寝るしかなかった。

翌日、朝から天気も良く丹沢山までは快適な尾根歩きを楽しんだ。ただ一つ気がかりなのは水筒の水が残り少なくなってきたことだった。地図を見ると不動ノ峰に行く途中に水場のマークあるのでここで給水することにした。水場は登山道から少し外れたところにあった。初めての水場体験である。「水場」というのは水道の蛇口があるとは思っていなかったがせめてパイプからチョロチョロと水が流れ出ているものだと想像していた。しかしここの水場はただの水溜りだった。おまけに良く見ると虫が泳いでいるではないか!「こんなもん飲めるか!飲んだら腹痛を起こすに決まっている」水を飲むのはなるべく我慢して残り少ない水を大切にすることにした。そう言えば昔、中学のクラブ活動で先輩から「運動中に水を飲むとバテるから飲むな」と言われたのを思い出した。この先、水が無かったことがかえってバテなくて良かったかもしれない。
この後の山行の記憶は余り無い。憶えているのはどこかの水場で「ここの水は煮沸して飲用して下さい」と書かれた札にガッカリきたこと。焼山から西野々までがすごく長く感じたこと。西野々のバス停で乾いた喉に自販機で買ったコーラを流し込んだことだけだ。

こうして僕の初めての山登りは終わった。
自宅に戻って水道の蛇口をひねると水が勢いよく流れ出た。何となく幸せな気分になった。

初めての丹沢、初めての北アルプス(2) へ続く

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