初めての丹沢、初めての北アルプス(2)

まさかその年の夏も山に登るとは予想しなかった。
同僚が見ていた上高地のパンフレットに河童橋と穂高岳の写真が載っていた。その写真の景色を自分の目で見たくなり上高地に行くことにした。
地図を見ると上高地の近くに穂高岳、槍ケ岳という山がある。何となく聞いたことがある名前である。どうせ行くのだからついでに登ってみることにした。3ヶ月前に丹沢に登ったので登山は全くの初心者というわけではない。早速、準備にかかった。

丹沢に登った時に山登りにジーンズは向かないと痛感したので今回は短パンで登ることにした。ジーンズは山小屋で履くことにしよう。それから登山靴を買うことにした。ズックだと雨の時に中まで濡れてしまい気持ち悪い。それから山小屋に2泊するのでもう少し大きなザックが必要だった。早速、近くのスーパーに買いに行った。
靴はキャラバンシューズというのを買った。これは土踏まずの所にギザギザの金具が付いていてこれで北アルプスの山を歩けばカッコ良いこと間違い無しだ。ザックはどんなものが良いのか分からない。ただ今後も山に行くとはかぎらない無いので一番安い30L位のザックを買った。その他は丹沢と同じ装備だ。

キャラバンシューズをなじませる為に丹沢の大山に日帰り登山に行き、次の日の夜行バスで上高地に向う。予定は前穂高岳、奥穂高岳まで行って一泊し翌日は北穂高岳、南岳から槍ケ岳に行って2泊目、三日目は一ノ俣、横尾を通って上高地に戻る計画だ。
河童橋から見た穂高岳はパンフレットの写真以上に素晴らしく、早くその頂に早く立ちたいという思いが僕の足を登山道へ駆り立てた。登っていると気持ちだけは頂上を目指して勇ましいのだが反対に足は段々と重くなっていった。そのうち十歩歩いては立ち止まり息を整えるというほどバテバテになってしまった。岳沢ヒュッテに着いた時には相当疲れていた。上高地を見下ろすとずいぶんの登ったような気がするが地図を見ると前穂高岳までは遠く、それにこれから先の方が等高線の間隔が狭く、急登であることが分かると「この地獄の苦しみがまだ続くか!」と気が重くなった。
再び歩き出すがあまりの辛さに頭の中は後悔という言葉で一杯になった。「こんな暑い日に何でこんな疲れることをやっているんだ」「やっぱり山登りは僕には向かない。ここに来ることは二度とないだろう。もう絶対に来ない!」と言う思いが疲れでぼんやりとした頭の中で浮かんでは消えた。
ジグザグの急登をひたすら登っていると上からやけにでかいキスリングを背負った男性が降りてきた。挨拶をしようと見た男性の顔、腕、足は日焼けで皮が剥けてぼろぼろ状態になっていた。剥けた皮の下も黒く、何層にも皮が剥けていたので幾度となくこの拷問が繰り返されたのであろう。思わずどこから来たのか尋ねてみると白馬岳から縦走して来て今日で3週間目だということだった。それにしてもすごい顔になっている。この顔で下界に降りたら周りの人は驚くか、大笑いかするしかない。僕の分析ではこの男性は自虐的な性格なのだろう。そうでなければこんなになる前に日焼け止めなど対処するのが普通だろう。良く考えてみると山に登ること事態が自分いじめのマゾ行為であるから登山者すべてがマゾ変質者といえるのかもしれない。やっぱり僕のように正常な人間は山登りは向かないと改めて思う。
ようやく紀美子平分岐点に着いた。見るとザックが数個置いてあった。ここから前穂高岳まではザックを置いて空身で行ったらしい。中々頭が良い人がいる。僕も真似をして財布とカメラだけを持って前穂高岳に登る。登る途中で悪い奴がザックを盗んでしまうのではないかと心配になった。しかし考えてみれば自分のザックだけでも重いのにわざわざ他人の荷物まで持っていくバカがいるだろうか?と考え直した。
前穂高岳山頂は素晴らしかった。標高が高いせいなのだろうか空気が澄んでいて空が青い。周りは鋭鋒な山が並んでいて実に雄大である。山頂は岩ばかりで足の下は土ではなくて石がゴロゴロしているのも荒々しくそれでいて精かんな感じだ。丹沢とは全然違っている。それにしても僕も単純な男だ。ついさっきまで山登りへの悪態を吐いていたのに今は山の仕掛けた「雄大な景色」という罠にまんまとはまって賛辞の言葉しか出てこない。悔しいけどやられてしまった。
それから嬉しいことに地図を見るとここから奥穂高岳まではなだらかであり、ここに登って来るだけで今日消費する予定のすべてのカロリーを消費してしまったガス欠状態の体には嬉しいことだった。
分岐点まで戻り、のんびりと奥穂高岳へ向かう。のんびりと言うよりゆっくりとしか歩くことが出来なかった。奥穂高岳山頂で休んでいたら何とした偶然だろう同じ会社の長谷川さんに出会った。仕事の関係はないので今まで話したことは無かった。話をしてみると燕岳から縦走中で明日は西穂高岳に行くと言うことだった。なんとテントを持っての縦走だった。良くこんな岩だらけの登山道を重いザックを背負って歩けるものだと感心した。この人もマゾ気があるらしい。長谷川さんは今夜はテントではなく穂高岳山荘に泊まるというので一緒に小屋まで行くことにした。
長谷川さんの歩き方は人間のものでは無い。猿だ。でかいザックを背負ったまま弾むようにゴツゴツした岩の上を歩いていく。全然ぐらつきもしないし大分トリム体操みたいなリズム感がある。悔しいが僕とは違ってかなり歩きなれている感じだ。
山荘に到着して食堂で山の話をする。「山小屋の経営はあまり儲からないのでビールを飲んで少しでも山小屋を儲けさせてあげよう」といきなりビールをガンガンと飲み始めた。僕に山登りをどれ位やっているかと尋ねるので今日で3回目だと答えたら”三点確保”も知らないで穂高岳に来るなんて無茶な奴だと笑っていた。
それから僕の装備についての話になった。ジーンズはダメだが短パンも日焼けした時に辛いのでニッカーボッカ−が無ければ綿パンかジャージが良いだろう。僕の懐中電灯は単一電池が3本の強力ライトだがそれを見た長谷川さんが「山にこんな重いライトを持ってきているのはお前ぐらいだろう」そう言うと炭坑夫が頭につけるような小型のライトを自分のザックから取り出した。「それに傘は山では役に立たないので荷物の軽量化を考えると持ってこなくても良い」と次から次に指摘し始めた。「それにしても要らない物は持ってきて必要なものは持ってきていない!非常食はどうした?」と僕のザックを覗き込む。僕は非常食なんか考えていなかった。非常食といえば遭難であるが遭難するのは雪山だけだ。昼食、おやつは山小屋で食べるので食料は飴玉があるだけだった。

食事の後、布団の割り当てがあった。スタッフの人が布団を敷き始めたのだが敷布団をピッチリと隙間無く敷いた後に掛け布団は重なるように置いていった。なんと一つの布団に大人が3人の割合でぎゅうぎゅう詰め状態で寝なくてはならなかった。幾ら込んでいるとはいえこんな事ってあるか!布団に寝てみるとすぐ横に見知らぬ人の顔があるので気になって横を向くことが出来ない。8時になって部屋の明かりが消えた。今日の疲れを明日に残さないように十分寝なくてはならない。ウトウトし始めた時だった。僕の隣に寝ていた夫婦が何やらゴソゴソし始めた。僕の横に寝ていた奥さんの声が耳元で聞こえる「何やっているのよ。止めてよ!」みたいなことをヒソヒソ声で喋っている。いつもと違う雰囲気に旦那さんが興奮したのかもしれないが横で寝ている僕はたまった物ではない。
夜中に目が覚め、寝ようとするのだけれどそれから眠れなくなってしまった。寝ているのか起きているのか分からない状態のまま朝になった。

翌朝、小屋を出ると登山道は一段と険しくなった。これは本当に登山道なのだろうか?周りを見ると僕より年上のおじさん、おばさんも多いのだがはたしてこんな険しい道を歩けるのだろうか?すごく険しい所では道は崖になった。一日十人位は確実に足を踏み外して谷底まで落ちているに違いない。よく見ると岩の所々に赤や黄色のペンキで印がしてある。多分これが道の目印になっているのだろう。見失わないように気をつけて歩かなければならない。歩いていると目の前から登山道が消え崖が行く手を阻んだ。ペンキの印は崖を降りた所に見える。ここまでも相当危険な箇所を通過したけれどこの崖は一番の急斜面だ。崖を半分ほど降りた所で足を置いたり手でつかんだりする箇所が無くなってきた。「残りはどれ位だろう?」と下を見るとペンキ印がある所に数人が立ち止まって僕を見上げている。「あの人すごいねぇー!あんな所を降りてるよ!!!」という声が聞こえる。何ということだ。どうやら登山道を見失い、道ではない所を降りてしまったらしい。「この崖を下まで降りることが出来るんだろうか?」と途端に恐くなって足が竦んでしまったが「どんなに時間がかかろうと一歩一歩確実に降りよう」と逆に開き直ってやっとのことで下まで降りることが出来た。ペンキ印の所に立って今自分が降りてきた崖を振り返ると「良くこんな危険な所を降りれたな」と感心したが足の震えは止まらなかった。
危険がいっぱいだった道も南岳まで来ると歩きやすい道に変わったのでようやく安心して展望を楽しむ事が出来た。それにしてもここから見ても槍ヶ岳は鋭く天を指している。あの頂上まで無事に登れるのだろうかと不安になる。槍ヶ岳山荘で受付を済ましてザックを置き、槍ヶ岳に空身で登る。登山道は登りと降りに別れていたが人が多くて混雑していた。これでも道かと思えるほどの危険な道で国土交通省もしくは環境省に一日でも早く階段や手すりをつけてほしいものだと思う。とにかく人が多いので一列になって順番に登って行く。僕の後ろのおじさんがせっかちで僕が足を置こうとする岩の出っ張りにはおじさんの手が既に置かれていて足が置けないことが何度かあった。頂上まであと少しの所で一つの岩を乗り越えたら目の前がズバッとしたまで何も無く、谷底まで数百メートルの断崖絶壁だった。こんな危ない箇所が登山道といえるのだろうか?一日20人位はここから滑落しているに違いない。
頂上はそんなに広くはなかったが展望は申し分ない。男性が谷に張り出した岩に寝そべっていた。寝返りを打ったら落ちてしまうということも分からないのか?きっと空気が薄いせいで脳が酸欠状態なのであろう。後から後から人が登って来るのでそのうちに頂上から人がはみ出してしまいそうだ。眺めは良かったが危ないので早々に降りることにした。
槍ヶ岳山荘は昨日の穂高岳山荘以上の混雑だった。一つの布団に4,5人が寝るほどの込みようだ。あまりの人の多さに寝る時は1人置きに足と頭を逆にして寝かされた。こうなるともはや狂気だ。人間としてではなく一つの物として部屋という箱に梱包された気持ちがする。
夜中にトイレに起きると部屋の出口まで歩くのに足の踏み場が無い。何回かブニュとした物を踏んづけてしまった。廊下に出てみるとそこにもシュラフに包まって数人が寝ていた。部屋から抜け出してきたのかもしれない。トイレから戻って来てみると当然だが僕が寝ていた場所は人で完全に埋まっていた。仕方が無いのでここぞと思われる場所にグリグリと体を揺すりながら割り込んでいくしかなかった。

後日談
長谷川さんから毎週のように山に誘われるようになった。せっかくの誘いであるが当分山登りはしたくない。もしかすると今後山に行くことは無いかもしれない。
長谷川さんはほとんど毎週のように山に行っているらしいがそんなに山に行ってどうなるというのだ。本当に変わった人だと思う。

初めての丹沢、初めての北アルプス(1) へ戻る

●てっぺん百景へ    ●ホームへ

inserted by FC2 system